三戸(金勢様の碑)桐萩

松月旅館の脇。

祠の隣に、碑が立っています。

明治10年に立てられたもので、金勢大明神と書かれています。*1

桐萩に女郎屋ができた頃に立てられたものです。*1

【参考文献】
*1 三戸町史編集委員会:三戸町史 中巻(三戸町,1997)P.384-P.385


■カテゴリ 性神 三戸
■散歩事典 三戸

三戸(松月旅館)かつての遊廓跡地

現在、桐萩にある「松月」は、かつて遊廓であり、後には旅館を営み今日では貸屋となっています。*1

遊廓があった頃、検査所と呼ばれる性病検査の場所は、「松月」の向かいにありました。*1

松月旅館だった頃は、料理屋兼旅館だったのだと思います。

松月旅館は、現在は売物件になっています。

【参考文献】
*1 三戸町史編集委員会:三戸町史 中巻(三戸町,1997)P.384,P.390

三戸(桐萩の赤線跡地)スナックの建物

明治後半から大正にかけては、女郎屋も増え、桐萩の名は広汎な地域で語られてきました。昭和に入り、戦争が激しくなると、桐萩は衰退し、終戦直後の女郎屋は、「よか樓」「松月」「福徳」「旭樓」の4軒だけとなりましたが、戦後は「赤線」として再び隆盛を極め、昭和33年まで続きました。この時期は、飲食店も充実し、ダンスホールも作られました。*1

昭和33年に売春防止法が実施されましたが、それ以後も料理屋やバー・キャバレーの名で私娼は生き残りました。昭和40年代に入ると、桐萩は次第に振るわなくなり、「函館屋」「カトレア」「ぜん」「とも子」「黒猫」「タンポポ」など、いろいろに工夫された店ができては消えていきました。*1
この頃の住宅地図*2 に、「スナックゼン」「やきとりたんぽぽ」「スナックともこ」などの名を確認できます。
当時の赤線(もしくは青線)の流れを受け継いだと思われる「スナックともこ」の建物が残っています。

スナックともこの看板。女性の笑顔が印象的です。

店の前に横たわる看板。

【参考文献】
*1 三戸町史編集委員会:三戸町史 中巻(三戸町,1997)P.387-P.390
*2 日本住宅地図出版:三戸郡三戸町(日本住宅地図出版,1983)P.18

三戸(桐萩)名前の由来となった切通し

今回は、三戸(青森県三戸郡三戸町)の町並みを風俗を散歩します。
三戸の町並みについて述べる時、どうしても外すことのできないのは、紅灯の巷といわれた「桐萩」です。「桐萩」は、公娼の街として開かれ、昭和33年までは、女郎屋、飲食店などが多くあり、「不夜城」を思わせるものがありました。「桐萩」という名前は、遊廓ができてからつけられたものであるといわれています。「三戸城」築城時の永禄年間(1560年頃)に、今の「城山」を削り、梅内、泉山方面に通れるようにした切通しを「切接ぎ」と呼んだといわれています。*1
写真の左奥が城山。写真右側の道が「桐萩」への入口です。

三戸町通史(1979年)*2 に、「遊廓があった桐萩は、今は二、三の飲食店、食料品店があり、そのほか三戸印刷社があって他はほとんど住宅街となっている。」との記述があります。
城山(写真左奥)の急斜面が迫っています。

同じ頃の住宅地図*3 には、スナックゼン、やきとりたんぽぽ、スナックともこ、酒場しろやま、沖田商店、中村商店、三戸印刷社、などの記載がありますが、今は、三戸印刷社が現存する以外は住宅街になっています。

城山から桐萩を見下ろすと、かなりの急斜面であることを実感できます。

【参考文献】
*1 三戸町史編集委員会:三戸町史 中巻(三戸町,1997)P.383,P.385
*2 三戸町史編纂委員会:三戸町通史(三戸町,1979)
*3 日本住宅地図出版:三戸郡三戸町(日本住宅地図出版,1983)P.18