盛岡(八幡宮)遊廓の名前

今回は、盛岡(岩手県盛岡市)の町並みと風俗を散歩します。
現在も繁華街となっている八幡町の始まりは、八幡宮に参詣する人たちに飲み食いさせるためのお茶屋からでした。八幡町が賑わい、町並みが整う頃には、津志田からの遊廓の移転もあり、明治時代になると、八幡は花柳街として繁栄しました。「明治末期の八幡町かいわいの町並み」を見ると、遊廓(貸座敷)と料亭が混在していたことがわかります。料亭と遊廓は、はっきりと区別されていました。*1

八幡宮には、盛岡の納札(千社札)の同好者の集まりの「万札会」が奉納した額が残されています。*1

その額を見ると、八幡町の遊廓の名前がたくさん出ています。*1

八幡宮に設置されている案内板。八幡町が歓楽街がとして繁栄した経緯が書かれています。

【参考文献】
*1 盛岡の歴史を語る会:もりおか物語第2集 八幡町かいわい(熊谷印刷出版部,1974)P.30-P.31,P.90-P91,P.124,付図「明治末期の八幡町かいわいの町並み」

盛岡(八幡町)花柳界のある松尾町

明治元年(1868年)官軍の奥羽鎮撫(ちんぶ)総督に就任した九条道孝が、官兵1300人を率いて盛岡に到着すると、官兵のために茶屋を許しました。これが八幡町の花街(貸座敷)の元となりました。*1*2
八幡町に隣接する松尾町に料亭風の建物が数軒ある一画がありますが、ここが花柳界のあるところで、それ以前は遊廓の中心部でした。*3*4

交差点のところに、モダンな建物があります。

側面から見たところ。

建物正面の装飾は、木材でできています。

【参考文献】
*1 盛岡の歴史を語る会:もりおか物語2-八幡町かいわい-(熊谷印刷出版部,1974)P.97
*2 森ノブ,多田代,岩手県文化財愛護協会編:三盛岡市の歴史 下 (熊谷印刷出版部,1992)P.55
*3 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.91
*4 木村聡:赤線跡を歩く【完結編】(自由国民社,2007)P.87