仙台(石名坂)売れっ子遊女が住んだ坂

仙台市の南部の若林区に石名坂と呼ばれる坂道があります。400年近く前、江戸、吉原で名を売った「石名」という遊女がいました。石名は、九州の武士の娘で、浪人した父とともに仙台に来ました。生活苦から船着場の遊女宿で働いていましたが、美貌のうえ学問もあったため、有力者の口効きで、吉原に鞍替えしました。その石名が住んでいたので、石名坂と呼ばれるようになりました。*1

現在は、閑静な住宅街です。

坂の途中に円福寺があります。

境内に石名の石碑があります。

【参考文献】
*1 河北新報出版センター:忘れかけの街・仙台(河北新報出版センター,2005)P.176-P.177

仙台(苦竹のスナック街)米兵向けでした。

JR仙石線で仙台駅から4つ目の苦竹(にがたけ)駅で下車すると、国道45号線沿いに近くに、突如、ゴーストタウンのような飲み屋街が現れます。
ここはには、かつて苦竹小路の呼ばれた2本の路地がありました。苦竹は、敗戦後、進駐軍の苦竹キャンプ(キャンプシモフネ)があった場所で、苦竹小路は、米兵たちのために基地の目の前の田んぼを埋めて建設した歓楽街でした。進駐軍向けのスーベニアショップ(外国人向けのみやげもの店)やバー、クラブなどの他に、飲み屋でありながら2階で売春もする、いわゆる曖昧屋と呼ばれる店もありました。*1*2

現在も営業中の居酒屋やスナックが数軒あります。

雰囲気のある路地。

周辺には空き地が目立ちます。ところどころに、閉店した店舗の建物も残されています。

【参考文献】
*1 藤木TDC:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.124-P.127
*2 別冊東北学編集:仙台学v. 1 (別冊東北学編集室,2005)P.93

仙台(エックス橋)敗戦直後、米兵相手の街娼

仙台駅の北側に、通称X(エックス)橋と呼ばれる橋があります。X橋は、明治22年の鉄道開通で分断された東側の鉄砲町と二十人町、西側の元寺小路と名掛町の二本の通りを一本で結ぶ橋として大正7年に完成しました。正式には宮城野橋といいますが、そう呼ぶ仙台市民はほとんどいないそうです。*1

敗戦直後、仙台にも米軍が進駐し、元の小田原遊郭に米兵用の慰安施設(RAA「特殊施設協会」)が開設されました。まもなくRAAが閉鎖されると、慰安婦たちは、どっと街は出てきて、いわゆるパンパンガール(街娼)となって、X橋の周辺に集まるようになりました。*1*2

平成10年(1998年)、「アエル」(写真中央の構想ビル)の建設によって、付近の様相は一変しました。*1
付近には風俗関連の店も数軒ありましたが、建物は残らず撤去され、開発が進んでいます。

「アエル」の展望台から見たX橋(写真下部)。周辺の開発が進んでいるのがよくわかります。
X橋自体も、都市計画道路の一部として架け替えが予定されていて、完成すれば広瀬通りとほぼ同じ幅員40メートルで仙台東部に達することになります。*1

【参考文献】
*1 小野幹,高橋こうけん:40年前の仙台(無明舎出版,2010)P.42,P.72
*2 熊谷達也:懐郷(新潮社,2008)「X橋にガール」P.242

仙台(壱弐参横丁)原形は戦後の闇市

今回は仙台(宮城県仙台市)の町並みと風俗を散歩します。
仙台市街の中心に、壱弐参(いろは)横丁があります。

壱弐参横丁の原形は、太平洋戦争の終戦直後、路上に現れたバラック商店や露天の集合体、すなわち、戦後の闇市です。平行する2本の路地を中心に、細い路地が入り組んで迷路状に広がって、狭い店がびっしりと並んでいます。*1*2

壱弐参横丁は、昭和21年、戦後の仙台市の公設中央市場として誕生したマーケットが原形です。*1
近年は、壱弐参横丁を活性化する動きがあって、案内図などが整備されています。案内図の隣に、「中央市場」と書かれた当時のものと思われる看板があります。

増改築をくり返した結果、約40棟の戸建ての店舗や長屋の集合体となりました。トタン屋根に混沌の歴史がにじんでいます。*1

【参考文献】
*1 藤木TDC:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.128-P.131
【参考URL】
*2 NPO法人まちづくりcom:ふれあい百店街・壱弐参(いろは)横丁