常盤町(清浄光院)娼妓の墓があります。

清浄光院は、小田原遊廓があった場所から15分ぐらい歩いたところにあります。


389
ここに、かつて小田原遊廓に身を置き、遊廓の中で死んでいった娼妓たちの墓があります。*1*2
非常にいい字で墓碑が刻まれています。

墓碑銘は、「仙台睦之墓」とあり、台座には、町内会長や幹事の名前が刻まれています。*1

墓石の裏に回ると、「心照妙喜信女 明治26年8月16日死」という法名がたった一つだけ刻まれています。

【参考文献】
*1 千葉 由香:別冊東北学(2000.9)「小田原遊廓物語(3)常盤町に封印された女たちの記憶」 P.389-P.397
【参考URL】
*2 河北新報社:時を語れ東北の20世紀「わかれっぱ/壱千参百円 望郷の念売り払い 苦界に沈む

常盤町(旅籠町公園)旧町名の名残を見ることができます。

常盤町遊廓が廃止され後は、常盤町は旅籠町と改められました。小田原町の西側には、「旅籠町公園」があります。

公園の名前に旧町名の名残を見ることができます。

「はだご町町内会」の掲示板。ここにも旧町名が残っていました。

公園のすぐ裏手には、旅籠町町会の集会所があります。

常盤町(宮町の商家)百年以上経つ店

常盤町遊廓は、最初は、町の西側(現在の支倉町)にありましたが、明治27年に宮町の東側の小田原に移転しました。1
明治45年の地図では、遊廓は青く塗られ、30近くの屋号が書き込まれており、一大観光地でした。
2
宮町には、当時の賑わいの面影を残す商家が今でも残っています。

宮町に残る古い商家の一つに、「大瀧履物店」があります。*2

「大瀧履物店」の奥さんの話によると、座売りの形態を残した店は、百年以上経つもので、昭和20年代まで桐下駄作りに追われていたそうです。昭和33年に廃止されるまで、遊廓の賑わいは、髪結屋、魚屋、味噌屋、乾物屋など多くの商店をうるおしました。*2

現在の「大瀧履物店」は、小学校指定靴やナースサンダルなどを販売しています。

【参考文献】
*1 千葉 由香:別冊東北学(2000.9)「小田原遊廓物語(1)常盤町に封印された女たちの記憶」 P.262-P.271
*2 西大立目祥子:仙台とっておき散歩道(無明舎出版,2003)P.173-P.174

常盤町(小田原遊廓跡地)遊廓があった頃は常盤町と呼ばれていました。

今回は、常盤町(宮城県仙台市)の町並みと風俗を散歩します。
東北随一とうたわれた仙台小田原遊廓。正確な町名は常盤町といいました。*1 現在の青葉区小田原6丁目付近です。遊廓の入口だった北一番丁には、大門がつくられ、2、3階建ての妓楼がずらりと軒を連ねていました。*2
「仙台花街繁昌記」*3 には、妓楼だった建物が「あさかや」という屋号の旅館に転業した写真が掲載されていますが、現在は、遊廓跡地の北側に同じ名前のアパート「コーポラスあさかや」が建っています。

南北の縦断する大門通りは道幅が広く一直線に伸びていて、ここに遊廓があったことを想像させます。「小田原遊廓地図」*1 によると、現在、亀谷商店がある場所(写真右側)には、亀屋という屋号の店がありました。

遊廓の北側には、「駆楳院(くばいいん)」と呼ばれる病院がありました。*4 現在、この場所は住宅地になっていて、昔の面影はありません。

遊廓の南側の通り。「小田原遊廓地図」*1 によると、ここには食品店や飲み屋が建ち並んでいました。現在もその面影が残っているように思え、想像力をかきたててくれます。

【参考文献】
*1 千葉 由香:別冊東北学(2000.9)「小田原遊廓物語(1)常盤町に封印された女たちの記憶」 P.262-P.271
*2 西大立目祥子:仙台とっておき散歩道(無明舎出版,2003)P.173
*3 田村昭:仙台花街繁昌記(宝文堂,1974)P.18
*4 千葉 由香:別冊東北学(2002.1)「小田原遊廓物語(3)常盤町に封印された女たちの記憶」 P.389-P.398