郡山(旭湯)電話帳に載っていない銭湯です。

郡山駅近くの旭町通りに、銭湯の旭湯があります。ビル型の銭湯ですが、少し老朽化しているようです。
郡山には、電話帳に載っている銭湯が2軒あるのですが、この銭湯は電話帳に載っていません。入るのにちょっと勇気がいる銭湯です。

なぜか、入口に「出会いパーティ」の貼紙。

内部は、お世辞にもきれいとは言えない状態で、雑然としています。

がらんとした浴槽。床のタイルは、ところどころ、剥げていいて老朽化が進んでいます。

■カテゴリ 郡山 銭湯

郡山(麓山公園)遊女の句碑があります。

郡山市の中心部に麓山(はやま)公園があります。この公園は、文政年間(1818~1829年)に、庶民の手で作られたという珍しい生い立ちの公園です。*1
文政年間の郡山は宿場町として栄え、多くの飯盛女たちが遊客を招くほどの振興の町でした。このときの殿様は、二本松藩9代藩主の丹羽長富でしたが、遊び好きだった長富は、この地に別邸を建築する計画を立てました。しかし、子女を寵愛し政務を怠る日々が続いたため、家臣に諌められ、文政8年に別邸建築の話はお流れとなりました。長富は、藩主を隠退しましたが、自力で庭園を建設しようという郡山町民の意気が燃え上がり、庭園建設が実現したのでした。*1

麓山公園の出島になっているところに、二基の句碑が立っています。
これは、文化・文政時代に栄えた佐渡屋という旅籠屋の遊女の「鶴司(つるじ)」と「あやめ」が詠んだ句碑です。*1

鶴司が詠んだ句。
「巳の日にも小松引きせんわが背子と」
側面には、佐渡屋内鶴司と記されています。反対側の側面には、文政九年(1836年)と刻まれています。*1

こちらは、「あやめ」が詠んだ句碑。
「みつくさし瑞沼山のおとこへし」と刻まれています。*1

【参考文献】
*1 山崎義人:ふくしま散歩<県中・県南版>(不二出版,1977)P.17-P.22

■カテゴリ 文学 郡山

郡山(本町一丁目)郡山宿の面影

慶長9年(1604年)に徳川幕府の命により奥州街道が開設され、そのとき郡山宿が開村しました。*1
本町一丁目2と14の間の通りは、ここだけがわずかに屈曲していて、郡山宿の面影を感じることができます。

「史料で見る女たちの近世」*1 によると、郡山宿の旅籠屋には飯盛女がいて、現在の本町一丁目の野田文具店から井上園茶店にかけての道路上に引手茶屋がありました。

井上園茶店付近。

今でも古い商店が残っています。

【参考文献】
*1 草野喜久:史料で見る女たちの近世(歴史春秋出版,2004)P.242,P.274

郡山(駅の地下道の白ポスト)三ない運動

今回は、郡山(福島県郡山市)の町並みと風俗を散歩します。JR福島駅は、新幹線が停車する駅だけあって、駅舎は立派です。

ローカル線のプラットフォームへの乗り換え途中の地下道に、白ポストがあります。

正面には、オ-ソドックスな標語。

影に隠れて見えない側面には、三ない運動の標語。

郡山(郡山ミュージック)世界のバーレスクシアター

郡山駅の南側の閑静な通りに、”世界のバーレスク”と謳われた「郡山ミュージック」*1 があります。

花電車ショー、SMショーなどの楽しい企画の他、毎週日曜日には、観客参加の大喜利なども企画されました。*1

入口付近。

お客様本位であることが、伝わってくる看板。

【参考文献】
*1 児玉貞治朗:ストリップ全解(大洋書房,2000)P.3-P.5

■カテゴリ 劇場 郡山

郡山(堂前町)南側にある盛り場

駅から南側に徒歩10分ぐらいのことろにある堂前町に、盛り場があります。

レトロな建物の居酒屋。

中華店などが入る長屋風の建物。
赤線研究家の木村聡さんは、堂前町の盛り場について、「赤線地帯の一つだったのではないか。」と推察しています。*1

ある店の入口付近。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.104

郡山(赤木町遊廓跡)大門だけが残っています。

郡山市街から少し離れた高台の赤木町にはかつて遊廓があり、現在は遊廓の大門だけが残されています。*1

「明治参拾四年九月建立」と書かれています。

周囲は、マンションなどの住宅街となっています。

門を通る車。

【参考文献】
木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.108

郡山(大勝館)駅前商店街の成人向け映画館

今回は、郡山(福島県)の町並みと風俗を散歩します。
駅前から、商店街が続いています。

商店街を5分ほど歩いた所に、成人向け映画館の「大勝館」があります。

かなり目立つ大きな看板。

映画館の入口付近に、ホモちゃんマーク*1 入りの森永牛乳の保冷箱がありました。

【参考記事】
*1 風俗雑感:ホモ牛乳