三春(化粧坂)庚申坂遊廓はこのあたりにありました。

新地跡のある弓町への分岐点をさらに南に数分歩くと、大きな桜の木があります。このあたりは化粧坂と呼ばれています。

古い井戸があります。

化粧坂とは、いかにも遊女の里らしい名前です。このあたりが昔の岩城街道の入口であり、庚申坂の遊廓がありました。

庚申坂の遊廓の移転の話は、明治20頃から出始め、結局明治29年に新町弓町に移転し、「新地」と呼ばれるようになりました。
三春では、旧名の庚申坂も忘れられず、新地と庚申坂の両方の呼び名が昭和31年の赤線廃止まで続きました。

----岩城街道口の地蔵----
三春城下に通ずる旧街道六ヶ所に一体ずつ合わせて六地蔵が立っている。正徳5年(1715年)建立である。傍らに古くから旅人が湯をいやした大井戸がある。番組町から分かれる岩城街道は、登り坂で、頂上に庚申様を祀る堂があり、庚申坂と呼ばれていた。文政9年(1826年)、小川にかかる石橋の修理の際、温泉同様の水が湧き出し、湯場として繁盛した。明治29年湯場は、弓町に移転し、遊廓庚申坂、または新地と呼ばれ、昔の庚申坂は古庚申坂と呼ばれるようになった。
【参考文献】
*1 山崎義人:ふくしま散歩<県中・県南版>(不二出版,1977)P.127-P.128

三春(弓町の新地跡)美しい飾り窓が残っています。

弓町の新地跡に残る建物の内部。

美しい飾り窓が残されています。

トイレの入口。ドアに独特の装飾が見られます。

昭和初期、大阪府議会が、「遊廓のトイレと消毒所はタイル張りにすること。」と決議したのがきっかけで、全国の遊廓にまたたくまにタイルが普及しました。*1
「日本のタイル」*1 には、昭和6、7年に出入りの業者が施行したとされる、三春町の庚申坂遊廓の「島屋」のトイレ内部のタイル張りの写真が掲載されています。

【参考文献】
伊奈ギャラリー企画委員会企画:日本のタイル(伊奈製陶東京ショールーム,1983)P.57

三春(弓町の新地跡)建物が現存します。

弓町にかつて新地の遊廓だった建物が現存しています。*1
廃屋になっている建物もありますが、昔の面影が残っています。

一番手前の建物の入口付近。

建物は全部で3軒あります。こちらは2軒目の建物。

一番奥にある建物。

【参考文献】
*1 山崎義人:ふくしま散歩<県中・県南版>(不二出版,1977)P.128

三春(庚申坂)せり場近くに遊廓がありました。

今回は、三春(福島県田村郡)の町並みと風俗を散歩します。
磐越東線三春駅で下車し、約1km行くと三春町の中心部です。

さらにそこから県道門沢三春線を進み、Y字路を右へ進むと、左側に庚申坂と呼ばれる坂の入口があります。

この地には、昔、せり場があり、付近には遊廓もあり、繁盛しました。

庚申坂(新地)への入口。この坂を登ると、遊廓(新地)があった場所に行き着きます。