福居(梁田宿)八木とともに飯盛女で評判でした。

八木宿(福居)から日光例幣使街道を3キロほど西へ歩くと、梁田宿の町並みがあります。
梁田宿は、八木宿とともに飯盛女で評判でした。*1

梁田の町並みに入って200メートルほど行ったコンビニのセーブオンのところで、日光例幣使街道は、北東に方向を変えます。この角にある中山さん宅は、「今昔三道中独案内」の地図に記載されていますが、昔の遊女屋があったところで、かつては連子格子が目立つ建物がありました。*1
現在は建て換わっています。

道が北東へ曲がってからも昔の面影を残している町並みが続きます。

渡良瀬川の近く長福寺の前に梁田宿の案内板があります。梁田宿は戊辰戦争(梁田戦争)の舞台となりました。
梁田戦争は、中山道を進んだ官軍と幕軍との戦いで、幕軍が評判の飯盛女を相手に宴をはっていたところへ、官軍が急襲、幕軍は100名以上の死傷者を出して敗退しました。このときの幕軍の戦死者の碑が長福寺にあり、足利市の指定史跡となっています。*1

【参考文献】
*1 今井金吾:今昔三道中独案内 新装版(JTB出版事業局,2004)P.168


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福居(旧八木宿)八木節のルーツ

昔、合計八本の松があったことから八木と呼ばれ、文化・文政(1804-29年)の頃は旅籠屋総数95軒のうち32軒が飯盛女を置く繫昌の宿でした。*1

民謡の八木節は、八木宿の遊女の口説き節が原型となったと言われています。*2

都市化が進む旧八木宿ですが、昔の面影が残されている建物もあります。

中華料理屋だった建物。

【参考文献】
*1 今井金吾:今昔三道中独案内 新装版(JTB出版事業局,2004)P.166
【参考URL】
*2 富塚町八木節保存会:八木節の由来について


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■散歩事典 福居

福居(国道沿いのラブホテル)古い貼紙がありました。

旧栄町から旧道へ行く途中、ラブホテルの看板があります。一瞬、この木造建物がラブホテルかと思いましたが、そうではありません。

国道50号線沿いに、ラブホテルがあります。

目立つ看板です。

近くの電柱の貼紙。「日本人・外国人、デリ...?」。ここまで剥がされてしまうと解読不能です。


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福居(福居遊廓跡地)明治41年に作られました。

今回は、福居(栃木県足利市)の町並みと風俗を散歩します。東武線福居駅から北へ15分ほど歩いた栄町墓地の近くに、福居遊廓がありました。
福居遊廓は、福居と梁田にあった遊女屋をまとめて、明治41に作られました。
「新編足利浪漫紀行」*1 に掲載されている福居遊廓跡地の写真とほぼ同じ位置から。

遊廓の中心部だったと思われるあたり。小さな祠がありました。

遊廓があった通りの端から見たところ。

遊廓跡地の近くにある栄町墓地。

【参考文献】
*1 日下部高明,菊地卓:新編足利浪漫紀行(随想舎,1997)p.111