倉賀野(冠稲荷神社)飯盛女たちの信仰を集めていました。

 旧中仙道の南側に冠稲荷神社があります。江戸時代は、旅籠屋や飯盛女の信仰を集めたようで、倉賀野神社に移築された玉垣に、彼らの名前が見えます。*1

明治42年の神社合併で御神体は倉賀野神社に合祀されましたが、神社が元に戻りたいと泣いているという話が広まり、昭和11年にに元の場所に戻されました。*1

冠稲荷神社の近くにある太鼓橋は、飯盛女たちが寄進したものと言われています。正確には、宿場の営業税太鼓橋を造ったのを、間接的に飯盛女が造ったと言われるようになったそうです。*1

太鼓橋の両側は坂で、名前のように太鼓橋は丸かったそうですが、昭和8年に架け替えられ、平らになりました。
現在は、太鼓橋の下の川は暗渠になっています。

【参考文献】
*1 高崎市:倉賀野町の民俗(高崎市,1999)P.105,P.158-P.159,P.225

倉賀野(倉賀野神社)飯盛女が寄進した玉垣が残されています。

旧道から脇道を一本入ったところに倉賀野神社があります。

倉賀野宿の飯盛女は、寛保2年(1742年)に1軒2人づつを旅籠屋に置くことが許可されたのがはじまりで、明治中頃までその営業を続けました。*1
飯盛女が寄進した冠稲荷神社(三光寺稲荷)の石の玉垣に屋号と女の名が刻まれています。現在その玉垣は倉賀野神社の入り口に移されています。*1

「升屋内はな、やす、ふじ」、「金沢屋内里津、ひろ、きん」、「新屋奈美、玉屋内ふじ」などと刻まれた玉垣がそのまま残っています。*1

本社前の常夜灯は、文久3年(1863年)三国屋つねが寄進したものです。*2

【参考文献】
*1 高崎のサービス業と花街P.51-P.52,P.61
*2 倉賀野神社入口にある案内板

倉賀野(倉賀野宿)このあたりに飯盛旅籠がありました。

JR倉賀野駅から5分ほど歩くと、宿場町があった旧道にでます。宿場町には、旅籠とともに飯盛宿がありました。

倉賀野宿には、飯盛宿の女衆が太鼓橋を作るための費用を出した話が伝えられています。寛保2年(1742年)に飯盛女200人の拠金により、石造りの太鼓橋に架け替えられました。
現在は、石造りの太鼓橋はなく、平らな舗装道路があるのみです。

脇本陣跡。

喫茶店に改造された木造住宅。

【参考文献】
*1 高崎市:倉賀野町の民俗(高崎市,1999)P.1-P.2