深谷駅前にあるレディースファッション店。

バニーガールの写真。

建物の北側の側面には、ドレスを着たマネキンが陳列されています。

同じビルに入居しているのでしょうか。ランジェリーパブの看板がありました。

町並み・歓楽街、大衆文化・風俗
ふかや (埼玉県-深谷市)
深谷駅前にあるレディースファッション店。
バニーガールの写真。
建物の北側の側面には、ドレスを着たマネキンが陳列されています。
同じビルに入居しているのでしょうか。ランジェリーパブの看板がありました。
食堂の「伊勢屋」の隣にある銭湯の「姫の湯」。
深谷の激渋銭湯です。
脱衣所のロッカーは、大き目で使いやすいです。中庭もあります。
入口の石畳。風情があります。
昭和の雰囲気が残る大衆食堂です。
食堂の中の様子。
カレーと生ビールを注文。昔懐かしい黄色のカレーです。
深谷駅前の西島町3丁目にある割烹料理屋。この通りは、「ちょうちん横丁」と呼ばれる昔からの繁華街です。
「見返りの松」は国道17号(写真右側)と旧中山道(写真左側)の交差点(深谷市原郷)に現存しています。江戸時代、深谷宿では「飯盛り女」と呼ばれる遊女が置かれ、宿場のはずれにあるこの松のから宿場の方を振り返り、前の晩の遊女との別れを惜しんだ旅人も多かったことから、「見返りの松」と呼ばれたようです。*1
「見返りの松」の石碑。
石碑の裏側には、青楼華やかな頃の様子が書かれています。
江戸時代、深谷宿のはずれに、松、杉あわせて400本があり、並木道となっていました。
【参考文献】
*1 松島英雄:深谷今昔物語(武陽民報社,1960)P.15-P.22
今回は、深谷(埼玉県深谷市)の町並みと風俗を散歩します。
今は昔、大正末期まであった深谷の遊廓、「深谷と云えば女郎屋、女郎屋と云えば深谷」と知れわたり、近在は元より、相当遠隔の地からも遥々毎日毎夜多くの人たちが遊びにきました。大正の頃の遊廓は、相生町に9軒、本町に1軒、稲荷町に6軒ありました。*1
明治35年の市街図*2 によると、相生町の安中商店付近には、貸席(貸座敷)の関口楼がありました。
松本楼があったあたり。
酒蔵の田中藤左衛門のあたり、須藤染物店の隣には、芸妓屋と貸席がありました。*2
貸席(貸座敷)があったと思われる場所は、駐車場になっています。
【参考文献】
*1 松島英雄:深谷今昔物語(武陽民報社,1960)P.15-P.22
*2 田口浪三,高柳鶴太郎:埼玉県営業便覧(全国営業便覧発行所)P.49