木更津(木更津遊廓跡地)このあたりは、昭和十年代は海でした。

「大木更津」*1 によると、「仲片町の海岸には、遊廓があって、辛うじて華やかなりし昔の木更津の船着場風情を止めてゐる。新鈴木楼、中村楼、京都楼の三妓楼あり。(中略)江戸へ帰る船の旅人と窓の女とが、後朝(きぬぎぬ)の別れを惜しむだであらう情趣を思ひ浮かべて限りなく興の湧くのを覚ゆるのである。」と記されています。
仲片町は、現在の中央二丁目付近です。商店街にその名が残されています。

高崎繁雄さんの「木更津地名散歩」によると、仲片町公会堂のあったあたりは、昭和十年代は海だったところで、船着場になっていて、高崎さんは、「子供心に異様に冷たい雰囲気を感じて通り抜けた俗にいう岡場所の店さきに商品のように並んだ女性の無表情な顔を思い出すことがある。」と述べています。*2
現在の仲片町の通りにその面影はありません。

「大木更津全図」*1 には、貸座敷の場所が記載されていますが、仲片町公会堂の裏手あたりのように思えますが、精密な地図でないため、正確な場所は不明です。
仲片町公会堂の裏手に回ってみると広い空き地がありました。

もう少し海寄りには、旅館だった建物が何軒か残されていました。

【参考文献】
*1 石川空山,石崎白水:大木更津(木更津日報社,1939)P.47,付録「大木更津全図」
*2 高崎繁雄:木更津地名散歩⑥(新千葉新聞に掲載)(1976.3.1)

木更津(人参湯)ピンクの板壁が印象的です。

旧中片町(現在の中央三丁目)に人参湯があります。ピンクの板壁が印象的です。

銭湯と風俗店の看板。(近くに風俗店があるようです。)

入口には、福助さんがいます。以前、横浜の黄金町の黄金湯*1 でも、福助さんに出迎えられたことがあったので、何となくなつかしい気持ちになりました。

脱衣場には、大きな熊手が飾られています。最近、改装したらしく、浴槽などの設備や天井のペンキは新しいものでです。富士山のペンキ絵には、「本栖湖、17.8.8」と記されていましたので、2年前の平成17年8月に改装されたものと思われます。

【参考記事】
*1 風俗散歩:黄金湯

■カテゴリ 木更津 銭湯

木更津(芸寮組合)かつて二業組合があった場所です。

昭和4年刊行の「全国花街めぐり」*1 によると、木更津には、芸者屋が27軒、芸者が96人いました。
「大木更津全図」*2 には、二業組合の場所が記されていますが、同じ場所に、現在は、「木更津芸寮組合」の建物があります。

現在は、芸者さんの練習場として使用されているそうです。

「芸寮組合」の建物の脇には、風情のある路地が残っています。

「芸寮組合」の近くにある料理屋の「宝家」。芸者さんを呼ぶことができる料理屋です。

【参考文献】
*1 松川二郎:全国花街めぐり(誠文堂,1929)P.182-.284
*2 石川空山,石崎白水:大木更津(木更津日報社,1939)付録「大木更津全図」

木更津(木更津港周辺)木更津甚句は花街でさかんに歌われました。

今回は、木更津(千葉県木更津市)の町並みと風俗を散歩します。
木更津は、江戸の台所をまかなう物資の集積地として、また、江戸の文化や風俗が流入する房総の表玄関として、栄えてきました。近年は、東京湾横断道路(アクアライン)の玄関口として注目されています。
木更津港に木更津船の碑があります。江戸時代に木更津と江戸の間を往復した木更津船は、幕府から特別な扱いを受けていました。

鳥居崎海浜公園には、木更津甚句記念碑があります。

木更津甚句は、一時、江戸界隈で大流行し、花街でさかんに歌われました。

中の島大橋から見た木更津港。