人形町(末廣神社)400年以上の歴史を持つ神社

人形町2丁目に末廣神社があります。

末廣神社は400年以上の歴史を持つ神社です。元吉原の総鎮守社として信仰されてきました。

神社に日本酒が奉納されています。末廣酒造という会社があるようです。

吉原移転後は、花街として繁栄したようです。

人形町(和風井戸)花街を思わせる路地にあります。

人形町駅前の通りに面した大観音寺の石段がありますが、その石段の脇に、昔の花街を思わせる古風な飲食店が並ぶ路地があります。

路地の入り口あたりに、和風の井戸があります。正面から見ると「防災井戸」と書かれています。木の桶が和風情緒を演出しています。桶の中には手押しポンプがあるものと思われます。

側面には長い取っ手が突き出ています。使いやすさを重視した実用設計です。

この井戸は防火のために準備されているようです。

人形町(元吉原)吉原の原点

今回は、人形町(東京都中央区)の町並みと風俗(跡)を散歩します。人形町は江戸時代、元吉原がありました。場所は、現在の日本橋人形町2~3丁目と日本橋富沢町付近あたりとされています。写真は地下鉄の人形町駅を出たところの交差点です。有名な玉ひでがありますが、元吉原があった時期は玉ひでの創業よりもさらに100年ほど前です。現在は元吉原の面影はまったくありません

元吉原の案内板があります。それによると、元吉原は、江戸時代の始め(元和3年(1617年)に葦(よし)が繁茂する湿地を埋め立てて造成されたことから吉原という名前がついたそうです。しかし明暦3年(1657年)の大火で焼失したことをきかっけに39年間栄えた吉原遊郭は、浅草山谷へ移転するこになりました。移転後の吉原を新吉原、移転前の吉原を元吉原と呼びます。

歌舞伎で有名な玄冶店の碑が人形町の交差点近くにあります。吉原が移転した跡にこの地において歌舞伎や人形浄瑠璃が盛んになり、人形町の地名の由来になったそうです。

現在の吉原にある大門は元吉原にあった大門という名前をそのまま引き継いだものとだそうです。現在の人形町にも大門通りがあり、当時の吉原の名残りを見ることができます。

この風景から400年前の吉原遊郭を想像するのは少し難しいようです。