新宿(芸能浅間神社)圭子の夢は夜ひらく

花園神社境内に、末社として芸能浅間神社が祭られています。これは、江戸時代より盛んになった富士山信仰の富士講が元になっていて、ミニチュアの富士山と浅間神社を祭りしていたものを現代の芸能の神様として位置づけたものです。*1

八代亜紀さん、由美かおるさん、など多くの芸能人の名前が見えます。

宇多田ヒカルさんの母親として知られる藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑。

芸能浅間神社の社号標は、歌手の八代亜紀さんによって奉納されました。八代亜紀さんは、デビューの1973年より花園神社にヒット祈願に訪れ、1980年に「雨の慕情」が大ヒットしました。

【参考文献】
*1 長浜淳之介:荷風!Vol.9(日本文芸社,2006)P.21「花園神社物語」

新宿(花園神社)男根模型

花園神社の境内の中にある威徳稲荷神社。赤い鳥居が連続します。

額の後ろに木彫りの男根模型が飾られています。

祈願する女性が男根をなでやすいように、乗るための台が置かれています。*1

後ろ側には石でできた男根があります。2つの睾丸もリアルに表現されています。男根は修理した形跡があって、痛々しく感じます。
風俗ライターの松沢呉一によると、昔はこれが何本もあったが、酔っぱらいが折ってしまったそうです。*2

【参考文献】
*1 町田忍:東京ディープ散歩(アスペクト,2008)P.50
*2 松沢呉一:風俗見聞録(ポット出版,2003)P.126

新宿(トルコ芳泉)日本最初のトルコ風呂

昭和初期、新宿5丁目交差点の南東側に、「トルコ芳泉」がありました。*1

「トルコ芳泉」は、公衆浴場とサウナ風呂として昭和25年にオープンした日本最初のトルコ風呂でした。サウナ風呂には、一人の個室と三人一部屋の個室があって、それぞれ一人づつサウナ嬢が白いパンツにブラジャー姿で首だけ出るサウナボックスに入れ、汗が出ると冷たいタオルで拭いてくれました。時間がくるとボックスから出てベッドに横たわりマッサージをしてくれる健康的なもので、大体1時間ぐらいでした。初めての人は友人と連れ立って三人部屋を希望しますが、何故か二回目には一人個室を求め常連となる人が多かったそうです。その後トルコ風呂は大流行し、競争が激しくなり、スペシャルサービスを行うようになって、健全なサウナは風俗営業になってしまいました。*2

現在は商業施設のビルに建て替わっています。

当時の面影はありません。

【参考文献】
*1 住宅協会:新宿区東部(住宅協会,1960)P.35
*2 武英雄:内藤新宿昭和史(武英雄,1998)P.108

新宿(ラシントンパレス跡地)ハッテンバでした。

「新宿二丁目東」交差点は、ゲイの街「仲通り」の入口にあたる場所です。

その「新宿二丁目東」交差点の南側に、ガラス張りのビルがありますが、この場所には2006年頃まで「ラシントンパレス」という新宿二丁目の特殊性を象徴するようなテナントビルがありました。その最上階をまるまる占めていたのは、「スカイジム」というゲイ専用のサウナで、ハッテンバ(ゲイの性の社交場)でした。*1
ラシントンパレスは、戦後新宿二丁目では一番早く建てられた大きなビルで、羅府飯店が中国名でした。*1*2

ビルの裏の路地。

路地の反対側にはアーチがあって、昔の雰囲気を伝えています。

【参考文献】
*1 竜超:消える「新宿二丁目」(彩流社,2009)P.120,142-P.143
*2 武英雄:内藤新宿昭和史(武英雄,1998)P.108

新宿(新千鳥街)赤線当時のムードが残っています。

「新宿二丁目」の仲通りの真ん中あたりに、木造商業施設「新千鳥街」があります。

レトロな呑み屋さんが集まっています。

赤線だった当時のムードを疑似体験できる数少ないスポットです。*1

「営業中」の看板。

【参考文献】
*1 竜超:消える「新宿二丁目」(彩流社,2009)P.40

新宿(新宿四丁目)ドヤ街だった旧旭町

甲州街道と明治通りが交差するあたりに、雷電稲荷神社という変わった名の稲荷神社がありますが、そこが新宿四丁目の旅館街の入口です。
ここは、旭町のドヤ街でしたが、現在は、「新宿四丁目ビジネス旅館街」と看板に書かれています。

今でも小さな旅館が立ち並ぶ風景が見られます。*1

3階建てのように見える旅館。

道なりに進むと、やがて高島屋前に出ます。

【参考文献】
*1 木村聡:荷風!特集大人の新宿(日本文芸社,2004)P.58-P.60「古雑誌記事に”新宿”を読む!」

新宿(花園神社)酉の市の日だけ見ることができる見世物小屋

花園神社に立ち寄ります。この日は酉の市の日でした。東側入口に仮設小屋が見えますが、これは、酉の市の日に建てられる見世物小屋です。

「演劇大百科事典」によると、見世物とは、「寺社の境内や盛り場で臨時に掛小屋芸能及び種々の珍奇なものを見せて、入場料をとる興行物」のことをいい、かつては、女相撲やストリップも仮設で興行されていました。仮設小屋の起源は室町時代にまでさかのぼると言われています。*1

蛇おんなの看板。

呼び込みのおばさんが、熱弁をふるいます。

【参考文献】
*1 鵜飼正樹:見世物小屋の文化誌(新宿書房,1999)P.15,P.26,P.50

新宿(「新宿の女」の歌碑)西向天神社にあります。

新宿二丁目から延びる都電の軌道跡の道を10分ほど歩いたところに、西向天神社があります。

神社の境内の片隅に、藤圭子が歌った「新宿の女」の歌碑があります。

藤圭子は、1969年に「新宿の女」でデビューし、アルバムチャート20週連続1位という快挙を成し遂げました。現在は宇多田ヒカルのお母さんとして有名です。

この歌碑の由来として、「昭和44年9月25日『新宿の女』で、この西向天神より二人の若者が旅立っていき、石坂まさをと藤圭子の名は時代を刻み、伝説として語られるようになった。」と記されています。

同じく、石坂まさを作詞・作曲で藤圭子が歌った隠れた名曲に「女町エレジー」があります。「女町エレジー」は、宝山寺(生駒新地)の女性をテーマとした曲です。*1
【参考記事】
*1 風俗雑感(音楽):「藤圭子の遺伝子

新宿(成覚寺の旭地蔵)男女の戒名が刻まれています。

新宿二丁目、靖国通りに面して成覚寺(じょうかくじ)があります。ここは、新宿の遊女たちと関係深い寺で、一名「投げ込み寺」といわれました。*1

入口の石段を下ってすぐ左側の塀下に旭地蔵があります。旭地蔵は、内藤新宿の遊女と武士や町人たちが、なさぬ恋を悲しんで玉川上水へ身投げして心中した者たちのために建られた供養塔でした。*1

台座には18名の男女の戒名が並べて刻んであります。*1

「貸座敷」と刻まれています。

【参考文献】
*1 芳賀善次郎:新宿の今昔(紀伊國屋書店,1970)P.70-P.72

新宿(新宿二丁目のバラエティーショップ)ゲイの街です。

今回は、新宿の町並みと風俗を散歩します。新宿二丁目は、かつて赤線があった場所ですが、最近はゲイの街として、生まれ変わっています。

ビデオ店も専門的な品揃えがされています。

おしゃれなブリーフが並べられている店。

DVD店の入口。男性の裸のマネキン人形が飾られています。