亀戸(エリザベス会館跡)有名な女装クラブがありました。

亀戸駅北口を線路沿いに西へ行きます。閑静な住宅街です。

東武亀戸線、JR総武線の電車からも見えるこの場所に、女装者たちが集まるクラブ「エリザベス会館」がありました。*1
エリザベス会館は、エリザベス神輿*2 を寄贈したことでも有名です。

現在は、マンションに建て変わっています。

亀戸の商店街や駅ビルの「エルナード」の人たちは、エリザベス(女装愛好者)のよき理解者でした。たとえば、エリザベスのイベントで寿司大会を催すときに、寿司飯だけ売ってくれるお寿司屋さんやエリザベス割引ということで10%オフしてくれるクリーニング屋さんなどがありました。*1
駅ビルの「エルナード」は、現在は「アトレ亀戸」に代わっています。

【参考文献】
*1 内田かおる:別冊宝島 ウラ東京観光(宝島社,1998)P.66-P.71「亀戸に集まる女装者たち」
*2 風俗散歩(川崎大師):かなまら祭(2007.4)

亀戸(天神裏)倉庫の中のタイル張りの円柱。

天神裏の西寄りの通り。閑静な住宅街です。

工場か倉庫のような建物。

何気なくのぞいた倉庫の中にタイル張りの円柱が残っています。トタン板でカバーされています。*1*2

上部は白のタイルです。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.26-P.27
*2 上村敏彦:花街・色街・艶な街 色街編(街とくらし社,2008)P.102

亀戸(天神裏の赤線跡地)可憐な概観を持つ建物。

「遊園地」と書かれた電柱番号札のある通り*1 を天祖神社方面へ歩きます。

「赤線跡を歩く」*2 に掲載されている「可憐な概観を持つ建物」があります。

建物の前が空き地になったため、全貌が見えやすくなりました。

1階の窓の曲線美。

【参考記事】
*1 風俗散歩: 「遊園地」のプレート(2008.4)
【参考文献】
*2 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.26-P.27

亀戸(遊園地跡)電柱に遊園地のプレ-ト

亀戸天神の裏手は、かつて私娼宿があったとされる場所です。目抜き通りには古い建物が残っています。

1階に蕎麦屋が入っている3階建ての建物。4階建てのようにも見えます。

このあたり(亀戸3丁目17、18)の電柱のプレートには、「遊園地」と書かれています。「亀戸遊園地」(私娼宿)*1 の中心部だったのでしょうか。

手書きのプレートもあります。

【参考記事】
*1 風俗散歩:亀戸「天祖神社」(2008.4)

亀戸(天祖神社)私娼宿の組合の名が刻まれた玉垣

亀戸天神の裏手に天祖神社があります。

「城東三業組合」の玉垣があります。

亀戸には、私娼宿の組合である「亀戸遊園地組合」がありました。組合の規約として1軒に2人以上の私娼を置かないというのが原則でした。*1
「亀戸遊園地」の玉垣が2本、「亀戸遊園地 総代 吉田金兵衛」の玉垣が1本、全部で3本あります。
「楽天地」、「新天地」という名前はよく聞きますが、「遊園地」というのは初めて耳にする呼び名です。もちろん、この「遊園地」は大人向けの遊園地です。

亀戸3丁目 女性の名前の玉垣。

【参考文献】
*1 道家斉一郎:売春婦論考(史誌出版社, 1928)P.180-P.181

亀戸(香取神社)鳥居の柱に亀戸三業組合

亀戸駅の北側に亀戸七福神の一つである香取神社があります。桜が満開です。

東側の鳥居の柱に「昭和三年十一月 亀戸三業組合」と刻まれています。
亀戸が花街として発展したのは、寛政年間で、水野越前守の大改革により、深川から亀戸に逃げ延びた芸者たちにより形成されたのが始まりで、その後、亀戸天満宮(亀戸天神)に参詣する人たちを相手にするようになり、急激に発展しました。*1

東側の玉垣にも「亀戸三業組合」があります。

「天神裏有志者」の玉垣。亀戸には、明治43年頃から既に私娼宿が出来ていて、大正8、9年頃が全盛で、私娼は1,000人位いたと推測されています。*2
玉垣の「天神裏有志者」とは、私娼宿の有志かもしれません。

【参考文献】
*1 東都芸妓名鑑(南桜社,1930) 「亀戸花街の沿革」
*2 道家斉一郎:売春婦論考(史誌出版社, 1928)P.180-P.181