門前仲町(深川江戸資料館)天保の終わり頃の深川の町再現

江東区深川江戸資料館。江戸深川の町が再現されています。

土蔵が町並みから突出してたち、その右手前二棟は長屋、奥に火の見櫓が見えます。*1

船宿の猪牙舟(ちょきぶね)。

天保の終わり頃の深川の町が再現されています。*1

【参考文献】
*1 藤沢周平:深川江戸散歩(新潮社,1990)P.58-P.67

門前仲町(三角屋敷跡)東海道四谷怪談の舞台

深川には、「東海道四谷怪談」の第4幕の舞台「深川三角屋敷」が実在します。現在、三角形のビルが建っている場所です。*1*2*3
お岩の妹であるお袖は、夫の与茂七は殺されたと信じ込み、敵討を誓ってくれた直助と暮らしています。
二人の夫婦生活は深川の三角屋敷で営まれましたが、三角屋敷の辺りには、直助屋敷とも直助長屋とも呼ばれる淫売婦の巣がありました。*4

現在の深川一丁目五番地のあたりです。

三角屋敷があった場所の三角形の底辺部分。

反対側は高速道路に面してします。

【参考文献】
*1 塩見鮮一郎:四谷怪談地誌(河出書房新社,2008)P.161-P.163
*2 花咲一男:川柳雑俳江戸岡場所図絵(有光書房,1974)P.38
*3 新創社:東京時代map.大江戸編(光村推古書院,2005)P.45,P.47
※ 「江戸岡場所図絵」*2 には、江戸時代の古地図に●印で岡場所があった場所が記されています。これと「東京時代map」*3 を重ね合わせることにより、現在の場所を推定することができます。
*4 高田衛, 吉原健一郎:深川文化史の研究 下(東京都江東区総務部広報課,1987)P.238

門前仲町(雲光院)吉原の創始者の墓があります。

三好二丁目の雲光院。

門を入ったすぐ右手に、庄司甚内の墓があります。*1

庄司甚内は、吉原の創始者です。江戸の発展を見て、京都や大阪と同じように遊廓をつくることを、慶長17年(1612年)に幕府に申請、元和3年(1617年)に許可を得て、現在の東京都中央区に遊里を建設し、吉原花街を開設しました。*1*2
吉原は、明暦3年(1657年)に消失し、浅草千束村に新しい遊廓がつくられ、これを新吉原と称しました。

庄司甚内は、正保元年(1644年)69歳で没し、雲光院に葬られました。

【参考文献】
*1 江東区教育委員会:江東区の歴史(江東区教育委員会,1976)P.137
【参考記事】
*2 風俗散歩(人形町):元吉原(2005.11)

門前仲町(かつての料亭街)深川芸者

地下鉄門前仲町のすぐ近くに、飲食街があります。

このあたりには、かつて芸者さんを呼べる料亭街でした。*1

古い建物はほとんど残されておらず、花街の面影はありません。

深川芸者は、日本屈指の伝統と格式を誇る老舗ブランドでした。

【参考文献】
*1 荷風vol.10(日本文芸社,2006)P.41-P.46「深川花街古往今来」

門前仲町(深川不動尊)洲崎パラダイスの額

根津遊廓や洲崎遊廓では、成田不動尊(千葉県成田市)の信仰が盛んでした。明治2年、成田山の出張所が吉祥寺の境内に設けられ、明治11年には、不動堂が建設され、遊廓を含めた花街関係者の間で深川不動尊信仰が浸透していきました。*1

不動尊の本堂内を見回すと右手に大きな額があり、洲崎パラダイスの講中の名前が刻まれています。

額の中央には、奉納成田山 内陣五講....」、額の右側には、店の名が記述されています。

額の左側には、遊廓の関係者の名前が記されています。

【参考文献】
1* 岡崎征男:洲崎遊廓物語(青蛙房,1978)P.285-P.295

門前仲町(住吉神社)玉垣に洲崎の名前が刻まれています。

門前仲町の東寄り。巴橋をわたったあたり(現在の牡丹三丁目付近)に住吉神社があります。

ビルとビルの間に住吉神社があります。案内板によると、このあたりは、深川七場所のひとつである佃があり、後に、辰巳花街として栄えました。

玉垣には、寄進した料理屋などの名前が刻まれています。

洲崎、二楽の名前があります。洲崎の人たちが信仰していたようです。

【参考文献】
*1 中沢けい:私だけの東京散歩 下町・都心篇(作品社,1995)P.31

門前仲町(岡場所跡)深川七場所

今回は、深川(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
地下鉄東西線の門前仲町駅の周辺には、深川不動尊、富岡八幡宮などがあり、下町風情を味わうことができます。

富岡八幡宮の周辺には、江戸時代から遊里があり、深川七場所と呼ばれました。七場所とは、仲町、土橋、櫓下、裾継(すそつぎ)、新地、石場、佃の七つの遊所をいいました。*1
深川七場所の一つ、仲町は、現在の仲町通り商店街のあたりにありました。*2*3
仲町は、土橋、新地とともに、もっとも繁栄をきわめた土地です。仲町は、永代寺門前仲町の略称です。*1

裾継は、油堀に囲まれた角にありました。現在の赤札堂のあるあたりです。油堀があった場所には、現在は首都高速道路が通っています。*2*3
油堀川公園の名に当時の堀の名前を見ることができます。

櫓下は、現在の清洲通り沿いにありました。。*2*3

【参考文献】
*1 佐藤要人:江戸深川遊里志(太平書屋,1979)P.153-P.155
*2 花咲一男:川柳雑俳江戸岡場所図絵(有光書房,1974)P.38
*3 新創社:東京時代map.大江戸編(光村推古書院,2005)P.45,P.47
※ 「江戸岡場所図絵」*2 には、江戸時代の古地図に●印で岡場所があった場所が記されています。これと「東京時代map」*3 を重ね合わせることにより、現在の場所を推定することができます。