洲崎(洲崎球場跡)遊廓のそばにあった野球場

東陽町の運転免許センター前の通り。

現在は、企業のビルが建ち並ぶ場所ですが、2005年、ここに洲崎球場跡の碑ができました。

プロ野球草創期に、1年間で100試合近くの公式戦が行われた有名な球場ですが、埋立地につくられたため、海水が満ちてきて試合が中止になったなど、強烈なエピソードを持っています。*1

球場のすぐそばには洲崎遊廓がありました。堅物というイメージの強い巨人軍の沢村栄投手もたまに試合後に通っていたそうです。*1

*1 佐野正幸:あの頃こんな球場があった(草思社,2006)P.193-P.199

洲崎(外郭の飲み屋街)「洲崎パラダイス」の舞台

洲崎橋跡の右手(西側)の通り。

こじんまりとした一杯飲み屋が軒をつらねている一画があります。

映画「洲崎パラダイス」の舞台となったと思われる飲み屋街です。*1

飲み屋街の中央には、トイレがあります。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.14-P.17

洲崎(追善供養碑)崎病院の跡地

都営洲崎住宅に隣接する東陽一丁目第二公園。ここに、洲崎遊廓の娼妓の供養碑があります。

ここは、警視庁洲崎病院の跡地です。*1

白菊の花にひまなくおく露は なき人しのぶなみだなりけり
昭和六年十一月九日
信州善光寺大本願大宮尼公台下御親修
洲崎遊廓開始以来先亡者
追善供養執行記念
善光寺より僧を招いて、開業以来廓で亡くなった無数の娼妓の霊をなぐさめるための法要を行った際の供養碑です。*1

洲崎遊廓の建物は、戦災ですべて焼失しましたが、そのような状況の中、戦前の様子を知る唯一の手がかりとなるものです。

【参考文献】
*1 岡崎柾男:洲崎遊廓物語(青蛙房,1988)P.276-P.279

洲崎(遊廓跡地)多くの建物が姿を消しました。

数年間のうちに、赤線跡の建物の多くが姿を消しました。

ここには、アパートとして使われていた青いタイルの建物がありましたが、新しい建物に建て替えられました。

洲崎の赤線跡を代表する旧「大賀」の建物も無くなり、現在は更地になっています。

ラーメン屋「来々軒」は、とんかつ屋に変わっています。唯一、背後に見える八百屋の建物は以前のままです。

洲崎(電柱のプレート)「遊園」の名

旧洲崎遊廓の敷地の電柱には、2種類のプレート貼り付けられています。
一つは「南海」、そしてもう一つは「遊園」です。

亀戸の私娼街だった亀戸遊園地(現在は住宅街)の電柱には、「遊園地」と書かれたプレートがありましたが、洲崎の遊園地も亀戸遊園地*1 と同じように、『大人向け遊園地』という意味の名前だったのでしょうか。

手書きの「遊園」のプレート。

「遊園」のプレートがあるのは、戦後復興したと言われる東半分のエリアのみです。西側半分側の電柱のプレートはすべて「仙印」と書かれています。

【参考文献】
*1 風俗散歩(亀戸):「遊園地」と書かれた電柱のプレート

洲崎(南開橋)モクレンの花が満開です。

今回は、洲崎(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
旧洲崎遊廓の南端にある南開橋。汐浜運河にかかる橋です。

運河を渡る南開橋は高い位置にあるので、ここから洲崎遊廓があった方向を眺めると、橋からは下り坂になっています。

現在、汐浜運河となっている場所は、昔は海でした。

モクレンの花が満開です。

洲崎(アパート)看板に旧地名が残っています。

洲崎の東側(東陽一丁目)に古いアパートが残っています。

アパートの看板に、旧地名である「洲崎弁天町」の表示が残されています。文字のデザインもレトロです。*1

南開橋近くの民家。

古い住宅地図が残されています。昭和の時代のものと思われますが、現在と比べるとバーやスナック、銭湯などが多かったようです。

【参考文献】
*1 舟橋左斗子、山口スネ夫:散歩の達人(弘済出版社,1996.11)P.27「旧赤線の今を歩く」


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■散歩事典 洲崎

洲崎(住宅街の中の飲食店)ピンクのタイルの店は無くなっていました。

前回散歩のときに、大通り沿いにあった「かにや」*1 ですが、移転をして営業中です。元の場所はマンションになっていました。

東側の通り。静かな住宅街です。

スナック風の入口。

前回散歩したときにあったピンクのタイルのスナック風の建物*2は無くなっていました。

【参考記事】
*1 風俗散歩(洲崎):旧赤線建物(2005.10)
*2 風俗散歩(洲崎):ピンクのタイルのスナック風の建物(2005.10)

洲崎(旧赤線建物)現在はアパートとして活躍中

旧洲崎遊廓の東側の通り。

ここに、現在も原型をとどめている建物があります。

見事なファザードを持った建物です。

3つあった入口のうち、中央の入口のみが使用され、他の2つの入口は閉じられています。*1

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.15

洲崎(ラーメン店)タンメンが評判の店

大通りに面した商店街には、旧町名である「弁天町」の名前が残っています。

ここに毎日長蛇の列ができるラーメン屋があります。

この店は、タンメンがおすすめです。*1

シンプルな塩味です。キャベツがたっぷりなのが特徴です。

*1 散歩の達人(1996.11)P.27「旧赤線の今を歩く」


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洲崎(洲崎橋)皇太子降臨の碑に三業組合

今回は、洲崎(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
洲崎橋は、かつて洲崎パラダイスのアーチがあった場所です。

右翼団体の看板でしょうか。北方領土返還などの標語が並んでいます。

皇太子殿下御降記念の碑があります。

なぜか、洲崎三業組合の名が刻まれています。

洲崎(洲崎緑道公園)洲崎橋は今は公園になってます。

洲崎という地名はほとんど残っていません。洲崎神社、洲崎郵便局、そしてこの洲崎緑道公園です。洲崎緑道公園は、洲崎に遊郭があったころの堀を埋め立てて公園としたものです。

大門通りと公園が交差するあたり。

「洲崎パラダイス」のアーチがあった旧洲崎橋は大門通りと洲崎緑道公園が交差するあたりです。

洲崎緑道公園は堀を埋めたたて出来た公園であるため、細長い形をしています。歩行者用の道と自転車用の道が分かれているのが特徴です。


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■散歩事典 洲崎

洲崎(洲崎神社)洲崎の名を残す静かな神社

今回は、洲崎(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
木場駅からすぐのところに洲崎神社があります。

弁天池

洲崎神社に隣接する児童公園に書かれていた絵。当時の洲崎を伝える絵だと思います。

洲崎神社の隣の区民会館のところにある掲示板。江戸時代は洲崎神社は海岸に面していたそうです。


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