田名部(映画監督川島雄三の碑)洲崎パラダイス赤信号

田名部川にかかる大橋を渡ると、徳玄寺があります。

山門をくぐった境内の中に、日本映画の異才と言われた映画監督川島雄三の碑が建っています。

横並びに彫られた井伏鱒二の訳詞が森繁久彌の揮毫で刻まれています。*1

川島雄三は、むつ市に生まれ、松竹大船撮影所に入社し、その後、日活、東京映画、宝塚映画などを渡り歩きました。*1
代表作には、「洲崎パラダイス赤信号」などがあります。芝木好子原作の「洲崎パラダイス」を映画化したもので、赤線地帯「洲崎」を描いた作品です。

【参考文献】
*1 阿部誠也:あおもり文学の旅(北方新社,2006)P.147-p.149

洲崎(外郭の飲み屋街)「洲崎パラダイス」の舞台

洲崎橋跡の右手(西側)の通り。

こじんまりとした一杯飲み屋が軒をつらねている一画があります。

映画「洲崎パラダイス」の舞台となったと思われる飲み屋街です。*1

飲み屋街の中央には、トイレがあります。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.14-P.17

洲崎(遊廓跡地)多くの建物が姿を消しました。

数年間のうちに、赤線跡の建物の多くが姿を消しました。

ここには、アパートとして使われていた青いタイルの建物がありましたが、新しい建物に建て替えられました。

洲崎の赤線跡を代表する旧「大賀」の建物も無くなり、現在は更地になっています。

ラーメン屋「来々軒」は、とんかつ屋に変わっています。唯一、背後に見える八百屋の建物は以前のままです。

門前仲町(深川不動尊)洲崎パラダイスの額

根津遊廓や洲崎遊廓では、成田不動尊(千葉県成田市)の信仰が盛んでした。明治2年、成田山の出張所が吉祥寺の境内に設けられ、明治11年には、不動堂が建設され、遊廓を含めた花街関係者の間で深川不動尊信仰が浸透していきました。*1

不動尊の本堂内を見回すと右手に大きな額があり、洲崎パラダイスの講中の名前が刻まれています。

額の中央には、奉納成田山 内陣五講....」、額の右側には、店の名が記述されています。

額の左側には、遊廓の関係者の名前が記されています。

【参考文献】
1* 岡崎征男:洲崎遊廓物語(青蛙房,1978)P.285-P.295

門前仲町(住吉神社)玉垣に洲崎の名前が刻まれています。

門前仲町の東寄り。巴橋をわたったあたり(現在の牡丹三丁目付近)に住吉神社があります。

ビルとビルの間に住吉神社があります。案内板によると、このあたりは、深川七場所のひとつである佃があり、後に、辰巳花街として栄えました。

玉垣には、寄進した料理屋などの名前が刻まれています。

洲崎、二楽の名前があります。洲崎の人たちが信仰していたようです。

【参考文献】
*1 中沢けい:私だけの東京散歩 下町・都心篇(作品社,1995)P.31

洲崎(住宅街の中の飲食店)ピンクのタイルの店は無くなっていました。

前回散歩のときに、大通り沿いにあった「かにや」*1 ですが、移転をして営業中です。元の場所はマンションになっていました。

東側の通り。静かな住宅街です。

スナック風の入口。

前回散歩したときにあったピンクのタイルのスナック風の建物*2は無くなっていました。

【参考記事】
*1 風俗散歩(洲崎):旧赤線建物(2005.10)
*2 風俗散歩(洲崎):ピンクのタイルのスナック風の建物(2005.10)

洲崎(旧赤線建物)現在はアパートとして活躍中

旧洲崎遊廓の東側の通り。

ここに、現在も原型をとどめている建物があります。

見事なファザードを持った建物です。

3つあった入口のうち、中央の入口のみが使用され、他の2つの入口は閉じられています。*1

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.15

洲崎(赤線建物の遺構)旧「大賀」

洲崎遊廓跡地に、当時のままの姿で現存する赤線跡の建物があります。

建物には、屋号が外壁に残っています。

現在は、共産党の事務所として使用されています。

タイルで装飾された大型の丸い円柱。

洲崎(赤線跡)青いタイルの建物

弁天町商店街の交差点の角にある八百屋。建物は、以前、遊郭であったと言われています。

通りに入って横から見たところ。

青いタイルが綺麗です。

この通りを少し進んだところにある「かにや」という屋号のお店。