大森(磐井神社)玉垣に料亭や芸妓置屋の名

京浜急行の大森海岸駅から第一京浜国道沿いに南下すると、磐井神社があり、社殿の右側に稲荷社があります。玉垣の積石に朱入りで名前が刻まれています。昭和44年に明治百年事業として寄進されたものですが、この地の花柳界を支えてきた料亭や芸妓置屋の名があって、かつての繁栄が偲ばれます。*1

芸妓屋が開業した当時隆盛した伊勢原、魚栄、八幡楼はその後廃業し、松浅がひとり繁栄をつづけました。*2
松浅の主人で、当時大森海岸料理屋組合長であった松木浅次は、花柳界の振興策として「大森海岸小唄」を流行らすことを仕掛け、大森の名は一気に広まりました。*1

日露戦争後の好況に伴って開業したのが、鯉屋、日の出屋、初鯉屋、立花家などであり、鯉屋は、常に芸妓40名を下ることなく、全国各都市を通じ、常に第一流の地位を占めていました。*2

「松登久」は、現在の大森北2丁目14に当時からあった、そば屋の「松登久(まつとく)」*3 でしょうか。

【参考文献】
*1 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.217,P.219
*2 東京市大森区:大森区史(東京市大森区,1939)P.1138-P.1140
*3 都市整図社:火災保険特殊地図(戦後分) 大田区[2]大森方面 2(都市整図社 ,2003)

大森(料亭「梅元」)大森海岸三業地

今回は、大森(東京都品川区)の町並みと風俗を散歩します。
大森海岸の芸妓屋は、明治26年5月に八幡橋際に開業した料理屋の伊勢原が隆盛し、魚栄、松浅、八幡楼等引き続き開店し、間もなく芸妓屋が開業したのが始まりでした。*1
現在八幡橋は無く、八幡橋があった場所は「八幡橋児童公園」になっています。

八幡橋の東側には、競艇場の「ボートレース平和島」が見えます。

八幡橋近くには、待合だった「梅元」の建物が現在も残っています。*2

現在は、オフィスビルが乱立するエリアになっています。

【参考文献】
*1 東京市大森区:大森区史(東京市大森区,1939)P.1138-P.1139
*2 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.220