八王子(田町遊廓跡)蔦が取り払われていました。

前回歩いた田町遊廓*1をもう一度散歩します。

前回、蔦に覆われていてその全貌を知ることができなかった旅館だった建物*2 は、蔦がすべて取り払われていました。

側面に回ってみます。

こちら側も木々が取り払われて、すっきりとしました。

【参考記事】
*1 旧田町遊廓大門通り(2005,10)
*2 旧田町遊廓の旅館だった建物(2005,10)

八王子(八日市宿跡)江戸時代、飯盛旅籠がありました。

戦国時代の終わり、関東を治めていた後北条氏が滅ぼされると、豊臣秀吉の命を受け徳川家康が新たな領主となりました。このとき、北条氏の支城であった八王子城*1 はすでに落城しており、もとの八王子城下の宿々は、現在の八王子に移転しました。基幹道路の両側には、東から横山宿、八日市宿、八幡宿の三宿が置かれました。*2
三宿の移転が始まった1590年(天正18年)には、すでに市が開かれ、市神社*3 が祀られていました。

現在の八日町の交差点近くに、八日市宿跡の碑があります。

碑には、八王子宿の様子を示す銅版画があります。

横山宿の市は、表通りを3分し、東から四日場、十四日場、二十四日場と三分され、順次に市が立ちました。その中で、東端の四日場(現在の横山町1丁目のダイエー八王子店あたり)は町のはずれに位置するため毎月4日の市も寂れがちで、宿民たちを困窮させました。そこで、苦肉の策として、横山宿内に分散している飯盛旅籠を四日場に集めようとの案が出されましたが、この案は移動の費用を負担しきれなかった四日場側の事情で実現しませんでした。*2
明治30年の八王子大火後、甲州街道沿いの遊女屋は、八王子北部の田町に移転し、田町遊廓と呼ばれるようになりました。*2

【参考文献】
*2 樋口豊治:江戸時代の八王子宿(揺籃社,1990)P.14,P.59-P.61,P.131,P.177,P.207,P.227
【関連記事】
*1 八王子城跡(風俗散歩,2005.10)
*3 市守神社(風俗散歩,2005.10)

八王子(八王子城跡)本丸へは山道を登ります。

八王子の町並みを眺めるために、八王子城跡を散策します。本丸へは山道を約40分かけて登ります。

山頂付近からの展望。八王子市街が見渡せます。

頂上近くにある八王子神社。本丸(山頂)はここからすぐそこです。

山道は高尾山へと続いていますが、今回はここで終わりです。


■カテゴリ 集落 八王子
■散歩事典 王子 八王子

八王子(旧田町遊廓大門通り)突然広い道路に行き当たります。

浅川の方へ向かって細い路地を歩きます。このまままっすぐ行くと暁橋があります。

暁橋の手前の交差点から左に折れる道路は、突然道幅が広くなっています。田町遊廓跡の大門通りです。周囲には卸売り業者の倉庫や物流拠点があります。

地図で確認していみると、周囲の道路の幅と比べ、ここの部分だけが幅の広い道路となっていることがよく解ります。

工場だったと思われる建物を転用した雑貨のディスカウントストアがありました。八王子はかつて絹織物工業がさかんでしたが、その頃の工場だったのかもしれません。

八王子(市守神社)北条氏照の時代にさかのぼります。

今回は、八王子の町並みと風俗を散歩します。JR八王子駅北側にある市守神社の入口に八王子市内の観光案内を兼ねた地図があります。

市内にある市守神社。そろそろ酉の市の準備に入る時期のようです。

市村神社の入口の案内板に、八王子の由来が書かれています。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の天下平定戦により、八王子城が落城ましたが、戦後処理のため市場の再開と物資の調達が急がれ、現在の横山、八日、八幡のあたりに地割がされ、今日の八王子の市街地の原型が出来上がりました。

市守神社は、横山宿の市の取引の平穏無事を祈る市神を祭ったのが始りとされ、はじめは市守稲荷と呼ばれていました。