府中(ふるさと府中歴史館)進駐軍の展示

大国魂神社の参道の右側に「ふるさと府中歴史館」があります。建物の2階の公文書史料展示室に、「戦後70 年府中と戦争の記録~戦中・戦後の市民のくらし~」の展示があります。

「進駐軍が来た」の展示。

米軍府中基地正面ゲートの写真。1945年9月、連合国軍が陸軍燃料廠(現在は航空自衛隊府中基地)を接収して設置しました。(説明文より)
連合軍のMPは、民間の住宅までも家宅捜査し、靴をはいた土足のままで畳の室を歩きまわりました。*1

当時の府中警察署が各家庭に配布した「家庭ノ皆様ヘ御注意」のビラ。
婦女はモンペまたはズボンを着用すること、婦女の一人歩きや外出はしないこと、婦女は進駐軍兵士や駐屯地には近寄らないこと、などの注意事項が書かれています。

【参考文献】
*1 黒田要:終戦後の府中町と私(黒田要,1972)P.20

府中(称名寺の遊女の墓)水子の悲話

府中市宮西町にある称名寺にある飯盛旅籠の杉嶋屋の墓。

杉嶋屋の墓域内に、店にいた飯盛女の墓が残っています。*1

地蔵尊を浮き彫りにした供養塔には、「法岸童女・文久元年四月五日きぬ」と刻まれています。「童女」ということは、遊女ではなく、遊客相手に遊女は身ごもり、きぬを生んだと考えられます。*2

俗名きぬ。

【参考文献】
*1 府中文化振興財団府中市郷土の森博物館:甲州街道府中宿 府中宿再訪展図録 改訂(府中文化振興財団府中市郷土の森博物館,2008)P.45
*2 樋口豊治:江戸時代の八王子宿(揺籃社,1990)P.173-P.1752016

府中(飯盛旅籠寄進の天水桶)大国魂神社

大国魂神社の拝殿前。

飯盛旅籠だった杉嶋屋が寄進した天水桶が残されています。*1*2

大国魂神社の末社の巽神社。

神灯の右側の一基に、「福本屋内喜以」とあり、田中屋、杉島屋の抱女と連名になっています。寄進者の福本屋源太郎は、安政年間より幕末まで飯盛旅籠をやっていました。*2
福本屋源太郎は、旅籠「福本屋」を開業した八九三(やくざ)でした。府中宿は、大国魂神社の祭礼と飯盛旅籠があったことが、八九三(やくざ)の発生を促進しました。*3

【参考文献】
*1 府中文化振興財団府中市郷土の森博物館:甲州街道府中宿 府中宿再訪展図録 改訂(府中文化振興財団府中市郷土の森博物館,2008)P.45
*2 比留間一郎:府中市立郷土館紀要 第2号 P.20-P.29「府中宿の飯盛旅籠ノート」
*3 比留間一郎:府中史談第10号(府中市史談会,1983)P.34-P.45「府中宿の八九三」

府中(貸座敷跡地)府中宿の飯盛旅籠

府中宿の飯盛旅籠のはじまりは、安永6年(1777年)にできた2軒の飯盛旅籠で、安政6年(1859年)には、東屋、杉島屋、富岡屋、津田屋、金本屋、増田屋、田中屋、冨久本屋の8軒となりました。明治5年の娼妓解放令により、飯盛旅籠は貸座敷に変わり、府中の貸座敷は、飯盛旅籠の面影を残したまま、街道の随所に散在して昭和初期に至りました。*1
甲州街道沿いに、昭和初期まで残っていた貸座敷「新松本楼」の跡地。その後は内田屋家具店となりました。(現在は駐車場になっています。)*2*3

明治末期まで残っていた貸座敷「杉島」があった場所。大正期以降は佐藤医院となりました。*2*3
現在はマンションに建て替わっています。

貸座敷「いろは」跡地。戦前まで残り、その後は東芝の寮になりました。*2*3

貸座敷「田中屋」跡地。戦後は村上医院となり、現在に至っています。*2*3
田中屋の建物は、明治5年に建てられ、昭和47年頃まで現存した堂々たる木造建築でした。*4*5

【参考文献】
*1 比留間一郎:府中市立郷土館紀要 第2号 P.20-P.29「府中宿の飯盛旅籠ノート」
*2 府中市立郷土館:府中市中心部街道ぞい家並変遷図(府中市教育委員会,1983)
*3 府中市史談会,府中市郷土の森:府中の家並地図(府中市教育委員会,1991)P.13-P.15,P.22
*4 府中市企画調整部広報課:むかしの府中(府中市,1980)P.15
*5 府中市史編さん委員会:府中市史 下巻(府中市,1974)P.935-P.936

府中(商店街裏のラブホテル)隠れ家的な雰囲気の路地

宮西国際通り商店街近くの細道。

細道を抜けると、商店街の裏側に出ます。

いっそりと佇むラブホテル。昭和50年の住宅地図*1 によると、この場所には「旅館玉栄」がありました。

隠れ家的な雰囲気の路地です。

【参考文献】
*1 日本住宅地図出版:府中市(日本住宅地図出版,1975)P.51

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