本牧(大丸谷のチャブ屋街跡地)現在のJR石川駅近く

チャブ屋の語源は、軽飲食店を指す「CHOP HOUSE」とされ、港の人力車夫たちの間で転訛していきました。これが明治初年のことで、大正年間、本牧小港*1 と大丸谷(おおまるだに)の2ヶ所に統合され、震災後は日本人の客も出入りするようになりました。*2

大丸谷のチャブ屋街は、現在のJR石川駅からすぐのところにありました。*2
1956年の住宅地図*3 によると、この付近には「バーオリエンタル」がありました。

「HOTEL第一」「HOTEL横浜」があったあたり。*3

この交差点の角には、「旅館ヒーロー」がありました。*3

 

淡谷のり子が歌った「別れのブルース」は、作曲家の服部良一が、私娼窟が密集している本牧のバーで洋酒を傾けていたときに思いつき、藤浦洸が作詞しました。「窓を開ければ 港が見える メリケン波止場の 灯が見える....」*4

【参考記事】
*1 風俗散歩(本牧):本牧小港のチャブ屋街跡地(2009.5)
【参考文献】
*2 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.70-P.71
*3 経済地図社:中区明細地図(経済地図社,1956)
*4 吉武輝子:別れのブルース(小学館,2003)P.205-P.206

本牧(本牧町2丁目の飲食店)「横浜ロイヤルホテル」の隣

本牧町2丁目の「横浜ロイヤルホテル」*1の南側。

チャブ屋街だった頃は、「ルビー」という名のホテルがあった場所です。*2
現在は、商業ビルの1階に喫茶店が営業中です。

落ち着いた雰囲気の店内。

ナポリタンとビールを注文。

【参考記事】
*1 風俗散歩(本牧):チャブ屋街の名残(2017.5)
*2 経済地図社:中区明細地図(経済地図社,1956)


■カテゴリ 食文化 本牧
■散歩事典 横浜 本牧

本牧(チャブ屋街の名残)本牧町2丁目

戦後営業を再開していた頃の本牧チャブ屋街。本牧町2丁目に名残があります。*1

横浜ロイヤルホテル。(昭和31年の住宅地図*2 では「ロイヤルパーク」)
この付近は、チャブ屋と思われるホテルが密集していました。*2

ホテルの屋上に設置されている自由の女神像。

自由の女神が立つホテルを見ていると、大正時代のチャブ屋が並ぶ町の姿が想像できます。*3

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.70-P.71
*2 経済地図社:中区明細地図(経済地図社,1956)
*3 川本三郎:我もまた渚を枕(筑摩書房,2009)P.64

本牧(本牧十二天緑地)戦後は米軍が接収

今回は、本牧(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。本牧十二天緑地は、横浜開港以来、外国人が訪れるようになった風光明媚な浜辺です。現在、その場所は公園になっていて、案内板が建っています。

戦後は、米軍に接収され、十二天山の上部には、給水タンクが設置されました。

案内板に掲示されていた「横浜全図(明治3年)」吉原遊廓が描かれています。(写真右上)

十二天山の遠望。
本牧の海は、かつては十二天の海とも呼ばれ、外国人居留民は、この海で海水浴を楽しみました。それが次第に日本人の間にも伝わり、海辺には、茶店や脱衣場が開かれるようになりました。やがては酒と女が入り込むようになり、〇〇屋、△△楼と呼ばれていた屋号が、〇〇ホテル、△△ハウスと洋風に改められ、風俗営業へと移行し、明治の中頃に「チャブ屋」と呼ばれるようになりました。*1

【参考文献】
*1 重富昭夫:横浜「チャブ屋」物語(センチュリー,1995)

根岸~本牧(本牧小港のチャブ屋街跡地)イトーヨーカドーがあるあたり

かつては、本牧の代名詞ともなったチャブ屋(外国人を客とした娼館)ですが、その起源は、江戸時代末期、外国人遊歩新道沿いにできた茶屋にさかのぼると言われています。*1
「横浜チャブ屋物語」*1 には、山手警察署裏手の通りに本牧のチャブ屋街があったと書かれていますが、少し南側に寄りすぎているような気がします。

昭和8年の「本牧・小港方面街並図」*2によると、チャブ屋があったのは、旧東泉橋と旧西泉橋のY字路(写真の奥のあたり。当時の道路の形状が残されている場所)付近で、このY字路から東側に延びる通りがチャブ屋街のメインの通りでした。

イトーヨーカドーがあるこのあたりが、チャブ屋街のメインの通りがあった場所と思われます。

大通り沿いには、モリヤホテル、バイオレットホテルがありました。*2 チャブ屋が密集するメインの通りとは別に少し離れた場所にもチャブ屋は散在していたようです。

【参考文献】
*1 重富昭夫:横浜「チャブ屋」物語(センチュリー,1995)P.11-P.12,P.86
*2 中区制50周年記念事業実行委員会:横浜・中区史(中区制50周年記念事業実行委員会,1985)P.687


■カテゴリ 赤線·私娼跡 本牧
■散歩事典 本牧

根岸~本牧(ゴールデンカップ)グループサウンズを生んだ店。

本牧通り沿いに、レンストランの「ゴールデンカップ」があります。1960年代、グループサウンズ(GS)の「ザ・ゴールデン・カップス」は、ここで誕生したました。 *1

本牧には、かつて”アメリカ”がありました。第二次大戦直後から1982年3月に返還されるまでの36年間、本牧は、約70万平方メートルに及ぶ広大な土地を米軍に接収されていました。ベトナム戦争時以降、本牧にGIがくりだすようになり、夜になると、米兵や米兵目当ての女たちがたむろして異様な雰囲気の町となりました。米兵の中には、プロやアマチュアのミュージシャンもいて、「ゴールデンカップ」は夜毎にぎわうようになっていきました。*2

建物の裏側。時代を感じさせます。

物置に、「ゴールデンカップ」の文字。

【参考URL】
*1 「ゴールデンカップ」ホームページ
*2 和久井光司:ザ・ゴールデン・カップスのすべて(河出書房新社,2005)P.21-P.22,P.30


■カテゴリ 芸能・音楽 本牧
■散歩事典 本牧

根岸~本牧(根岸外人墓地)片翼の天使の像

JR京浜東北線山手駅のすぐ近くにある根岸外国人墓地。

明治35年に開設されました根岸外国人墓地は、現在は、きれいに整備されていますが、長い間、忘れ去られていた外国人墓地でした。昔、ここには小さな木の十字架がびっしりと立てられていました。そのほとんどは、戦後間もない時期に死んだ嬰児で、進駐軍兵士と日本人女性の間に生まれたハーフです。その数900体。*1

1999年、片翼だけの「天使の翼」を模した像が建立されました。*1

おびただしい数の十字架は一掃されましたが、片翼の天使は、歴史の真実を語り伝えてくれています。*1

*1 横浜タイムトリップ・ガイド制作委員会:横浜タイムトリップ・ガイド(講談社,2008)P.116,P.127


■カテゴリ 墓・供養塔 本牧
■散歩事典 本牧

根岸~本牧(根岸競馬場跡地)一等観覧席が残されています。

今回は、根岸~本牧の町並みと風俗を散歩します。
JR京浜東北線根岸駅の北側に、横浜の都心では最大級の根岸森林公園があります。この公園は、本格的な近代競馬の先駆となった根岸競馬場の跡地です。

公園の北側に、根岸競馬場の一等観覧席が残されています。

根岸競馬の初開催は、1880年(明治13年)で、このとき、現在の天皇賞の先触れとも言える天皇花瓶競争が創設されました。観覧席には、有栖川宮、伊藤博文、各国外交官や居留外国人などで、鹿鳴館外交の一翼を担っていました。*1

案内板。

【参考文献】
*1 馬の博物館 編:根岸の森の物語(神奈川新聞社,1995)P.43


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