二子新地(料亭跡地)料亭「春日」の遺構はなくなっていました。

二子新地の最盛期には、芸者はたくさんあって、芸者衆は100人くらい、待合は30軒くらいありました。当時、町内会(南第四町内会)は、全部三業組合でしめていました。*1
料亭「春日」は、数年前まで当時の建物と黒板塀の遺構*2 が残っていましたが、つい最近取り壊されて駐車場になったようです。

料亭「やよい」があったあたり。*3

「草紫庵」と書かれた石柱があります。

待合ではなく、料亭だったのは、「仙寅」のみでした。料亭「仙寅」の跡地には、現在はマンションが建っています。

【参考文献】
*1 神奈川県立婦人総合センター かながわ女性史編集委員会:夜明けの航跡(ドメス出版,1987)P.250-P.251
*2 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.174
*3 高津区明細地図(経済地図社,1970)P.79

二子新地(料亭やよい)唯一現在も営業を続けています。

1970年の住宅地図*1 を見ると、二子新地の料亭は、10軒ぐらいが営業中だったようです。

そのうち、唯一現在も営業を続けているのが、こちらの料亭「やよい」です。

料亭「やよい」の看板。

美しい黒板壁が、当時の様子を偲ばせます。

【参考文献】
*1 高津区明細地図(経済地図社,1970)P.79

二子新地(二子神社近くの街路灯)「二子三業組合」の銘の入っています。

二子橋が開通した大正14年頃、建設関係者を相手にした小料理屋が神奈川側の堤防沿いにできはじめ、三業地ができました。

二子神社近くには、「二子三業組合」の銘の入った街路灯が残っています。

三業地は、二子神社西側一帯にありましたが、現在は住宅地になっています。

二子三業組合、二子芸能学校があったあたり。*2

【参考文献】
*1 散歩の達人(交通新聞社,2005.4)P.12
*2 高津区明細地図(経済地図社,1970)P.79

二子新地(大山街道)双子死んじまえ

今回は、二子新地(神奈川県高津区)の町並みと風俗を散歩します。田園都市線の二子新地駅は、かつて花街だった頃の「二子新地」という呼び名がそのまま駅名になっています。
ちなみに、当時は、「二子新地前」という駅名でしたが、「双子死んじまえ」に聞こえたりするので、現在の駅名に変更されました。*1
案内板を見ると、二子神社の近くには、花街の名残と思われる料亭の名前があります。

二子新地駅前の大山街道。大山街道は江戸を起点として、大山(神奈川県伊勢原市)までを結ぶ街道で、江戸時代中期には、「大山詣」がブームになりました。

「旧大山街道二子の渡し場入口」と書かれた白い案内標柱があります。大正14年に二子橋ができるまでは、二子の渡しから多摩川を渡りました。

あるビルの壁面に、二子の渡しのレリーフがあります。

【参考文献】
*1 散歩の達人(交通新聞社,2005.4)P.16