平塚(震災遭難者供養碑)平塚貸座敷組合が建立

旧平塚遊廓の東端にある大鷲神社。


祠の脇に、震災遭難者供養碑があります


大正12年の(1923年)の関東大震災によって、平塚の花柳街、平塚遊廓は全半壊し完全なる家屋はありませんでした。被害を受けた平塚の遊廓は、復興に着手し、震災以後の平塚の妓楼は、福岡楼、新笹楼、相模楼、旭楼、東楼、平田楼、京友楼、金鱗楼、蛭子楼、第一松栄楼、第二松栄楼の11軒で、娼妓は130人が在住していました。*1


震災遭難者供養碑の裏側には、「平塚貸座敷組合一同」と刻まれています。

 

【参考文献】
*1 今泉義廣:平塚花まち色まち物語(湘泉堂,2007)P. 104-P.105
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平塚(平塚遊廓跡地)終戦後は進駐軍の特殊慰安施設が作られました。

今回は、平塚(神奈川県平塚市)の町並みと風俗を散歩します。 平塚遊廓は、現在の大鷲神社(平塚2丁目)の西側に一画にありました。*1 平塚遊廓は、昭和20年の米軍の空襲によって跡形も無くなり、終戦後、旧遊廓には、進駐軍の特殊慰安施設が作られました。昭和21年以降、旧遊廓は赤線区域となりました。*2

 

平塚の特殊カフェーは、大鷲神社の隣から東から西へ豊香、松葉、松栄、武蔵、喜本、千代本、相模、笹屋(以上、道路の北側)、道路の南側には、東から寿、組合事務所、都、金鱗、東、旭、福岡、村田、と建ち並んでいました。*2
 売春防止法施行後、これらの特殊カフェーの一部は、旅館に転業したと思われ、昭和42年の住宅地図には、カフェーと同名の屋号の旅館も確認できます。写真は、旅館むさしがあったあたり。*3

 

 この付近には、旅館きみの、旅館ともき、旅館ひさのやの3軒がありました。*3

 

 遊廓の裏通り(北側)

 

【参考文献】
*1 平塚市博物館市史編さん担当:平塚市史(平塚市,2011)附図「平塚復興都市計画図」
*2 今泉義廣:平塚花まち色まち物語(湘泉堂,2007)P. 122-P.129
*3 明細地図社:平塚市明細地図(明細地図社,1967)P.38
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