新潟(下町花街跡)新潟市の三花街の一つ

かつて、新潟の花街といえば、古町、下町、沼垂の3か所がありました。このうち、下町の花街は、十四番町と常磐町の間に挟まれた場所にありました。*1

この路地を入ったところには、「坂井家」「新白根」「姫の家」などがありました。*1

昭和の雰囲気が残る路地。

こちらの酒屋の脇の路地の奥には「西月」がありました。*1

【参考文献】
*1 藤村誠:新潟の花街(新潟日報事業者,2011)192-P.199

新潟(常盤町遊廓跡地)横七番町通り

「貸座敷家並み図」*1 によると、かつての新潟遊廓の二本柱だった十四番町遊廓と常盤町遊廓は、いずれも横七番町通りに接した場所にあって、本町通十四番町から数えて北東方向へ3本目の通りに常盤町遊廓がありました。

常盤町遊廓は、明治、大正時代は、十四番町遊廓と比べ地の利の悪いこともあって、不況の深刻化した昭和5年当時、妓楼が半減しました。*2

能登屋があった思われる場所。「貸座敷家並み図」*1 によると、大正中期は、北側から、東楼、村上屋、隅田川、第二鷲尾、井坂楼、能登屋、と隙間なく建ち並んでいましたが、昭和5年には、村上屋、隅田川、能登屋、と半減しています。

昭和32年の住宅地図*2 によると、この場所には、銭湯の「ときわ湯」がありました。。「貸座敷家並み図」*1 では「風呂屋」と記述されています。

【参考文献】
*1 藤村誠:新潟の歴史を語る 昭和63年度郷土史講座(1988,新潟市郷土資料館)P.20-P.24 「新潟遊廓の変遷を語る 十四番町と常盤町」
*2 日本地図編集社:新潟市住宅明細地図(日本地図編集社,1957)P.11

新潟(十四番町遊廓跡)和風、洋風をとりまぜた家並み

明治21年、古町通五番町と西堀通五番町(俗称:脱奔( ダッポン)小路)の貸座敷を全焼する火災が発生しました。以前から、新潟市内無く所に散在している貸座敷を北辺の一郭にまとめようと企図していた県は、この火事を好機として、遊廓統合に着手しました。その後、明治31年までに、横七番町以北の新遊廓指定地への移転が完了し、「新潟遊廓」が誕生しました。ところが、移転直後の明治31年の火事で本町通十四番町の貸座敷はすべて全焼した結果、一部の楼主が隣接の常磐町へ移転し、常盤町遊廓が誕生。新潟遊廓は、十四番町と常盤町の二本柱となりました。*1

上の写真とは逆方向(浄信院を背にして)から見たところ。写真左側の角にあった水田楼は、建物内部はもちろん、店の格子先はで全部朱塗りで統一され、これをまねる妓楼が続出しました。大正期、新潟遊廓の外観は、和風、洋風をとりまぜた家並みでした。*1

新潟遊廓の各妓楼は、競って建物の増改築を行いました。中でも特筆すべきは、十四番町の小林楼(その後「巴屋」、写真右手前の位置)は、大正から昭和初年まで最も繁栄した貸座敷の一つで、店張りをする部屋に大姿見を設備し、25人の娼妓が美しく映ずるように工夫し、さらに洋風の大建築をして、玄関から靴ばきのまま出入りできる部屋を7部屋設けました。*1

かつての常盤楼の跡には、大きなマンションが建っています。*1

【参考文献】
*1 藤村誠:市史にいがた第14号(新潟市,1994)P.4-P.22 「新潟における花街の変遷」

新潟(人情横丁)新潟の台所

新津屋小路に、約160メートルにわたって長屋が連続する「人情横丁」があります。

人情横丁の創立は1951年。堀を埋めた跡地に、露天商が移転してきて店を開いたのが人情横丁の始まりです。当時は、生鮮商品中心の約80軒が店を連ね、人が前に進めないほど賑わいました。(案内板より)

現在の堀の跡が残っています。

現在も「新潟の台所」として市民に親しまれています。


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新潟(巨大弘法大師像)ストリップ劇場跡

西堀前通六番町の飲食店街の真ん中に巨大な弘法大師像が立っています。
人生の悩みを背負った人たちがやむにやまれず仏にすがるための寺ですが、そのルーツはストリップ劇場でした。寺の住職の岡本治峰さんは、当時のストリップ劇場「オリオン」の経営者で、昭和新道でもキャバレーやダンスホールを華々しく経営していました。その岡本さんが180度の大転身を遂げたのは、昭和30年頃、突然病魔に襲われたことがきっかけでした。結核に加えて糖尿病にもなり、死ぬ目に遭ったことが、岡本さんの仏門への入口でした。3年間、四国巡りを続けた結果、病気はうそのように良くなり、そして岡本さんは「寺を建てよう」という信念が固まりました。*1

総費用は、1億2500万円。寄付はいっさいありませんでした。*1

弘法大師像の下には人間国宝松久朋琳作の仁王像が2体安置されています。*2

唐山開基の弘観音は、岡本治峰さん別名「平岡弘観」のことで、戒名に岡本治峰さんの名前の「治峰」が含まれています。*2

【参考文献】
*1 新潟日報社:にいがた街・ひと・物語(新潟日報事業社出版部,1990)P.65-P.68
*2 財界にいがた:財界にいがた(2013.1)「『新潟三越脇の巨大弘法大師像はストリップ劇場跡地に建つ』のウラを取る」 P.50-P.53


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新潟(會津八一の歌碑)遊廓「湾月楼」の次男あ

今回は、新潟(新潟県新潟市)の町並みと風俗を散歩します。
古町通5番町は、現在では水島新司マンガストリート。(写真右手前のブロンズ像は、「野球狂の詩」の岩田鉄五郎)として知られていますが、このあたりは、江戸時代からの歓楽街でした。

水島新司マンガストリートのブロンズ像に混じって、歌人の會津八一の歌碑があります。
會津八一は明治14年、新潟市の古町にある料亭「會津屋」の次男として生まれました。八一の生家である會津屋は、ほとんどの文献に料亭と書かれていますが、実際のところは明治21年までは、一般に青楼と呼ばれる、遊女屋と料理屋を兼ねた店でした。會津屋は、二代目の會津金太のときに全盛を極め、一軒で5人もの美妓をかかえていました。金太の一人娘の英(えい)は、明治元年に夫を亡くすと、女手一つで會津屋を守った女丈夫でした。しかし、明治21年の大火で會津屋は全焼し、この大火を好機として、県知事は、古町を貸座敷の営業区域から除外しました。英は決断を迫られましたが、店をたたむのではなく、料理屋として再出発する道を選びました。このとき英の娘イクの生んだ次男八一は8歳でした。*1

歌碑に書かれている歌は1945年(昭和20)、東京大空襲で被災し、傷心を抱いて新潟へ帰郷したときに詠んだものです。
[IMAGE|e0073751_2374465.jpg|201411/15/51/|mid|450|300#]
歌碑の向こう側には、現在の歓楽街とも言える昭和新道(ソープランド街)があります。

【参考文献】
*1 工藤美代子:野の人會津八一(新潮社,2000)P.20-P.24


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■散歩事典 新潟

新潟(料亭「鍋茶屋」)創業は明治維新の前夜です。

古町八番町を折れて東新道の通りに入ると、昭和のはじめころの花街の情緒がただよってきます。ここに大きく位置を占める料亭「鍋茶屋」の白い壁が印象的です。

料亭「鍋茶屋」の歴史は古く、創業は明治維新の前夜。黒船が来港し、新潟港が横浜、神戸、函館、長崎などとともに国際港化を迫られてきた前後でした。*1

料亭の入口近くに人力車が置いてあります。門前で人力車を降りる芸者さんの姿が目に浮かぶようです。

東堀前通りから、料亭の建物の裏側を見たところ。

【参考文献】
*1 新潟日報事業社:新潟芸妓の世界(1973,新潟芸妓)P.13

新潟(門の湯)遊廓跡の入口にある銭湯です。

十四番町の遊廓跡の通りの入口のあたりに、銭湯があります。遊廓跡には銭湯があることが多いですが、ここでも例外ではないようです。

入口は平凡な雰囲気です。昼1時半から営業しています。

建物の側面。2階建てなのか、3階建てなのか、内部の構造がどうなっているのか知りたくなります。

脱衣場にはロッカーがありません。貴重品は番台で預かってくれます。


■カテゴリ 銭湯 新潟

新潟(十四番町)妓楼だったと思われる建物

新潟市十四番町遊廓は、本町通り十四番町、四ツ谷町一丁目、東堀町十三番町、寄附町西受地町、にまたがっていました。*1
寄附町は、現在は住宅街になっています。


「赤線跡をあるく2」に掲載されている「妓楼の跡と思われる建物」*2 が現在も残っています。


正面からみると、どっしりとし風格のある建物です。


側面から見たところ。


【参考文献】
*1南博:近代庶民生活誌.第14巻「全国遊廓案内」(三一書房,1993)P.94
*2木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.105

新潟(湊稲荷神社)回転する高麗犬

駅から信濃川を渡った稲荷町に、湊稲荷神社があります。

伝承によれば、男の方は右の高麗犬、女の人は左の高麗犬を、願意(ねがいごと)を心にねんじながら回し、祈願したといわれております。

高麗犬の台座は回転する仕組みになっていて、実際に手で回すことができます。(けっこう力がいります。)

和船の出入りで新潟港がにぎわっていたころ、港に入る船の船乗りは花柳界に遊び、その夜、遊女に送られて船に帰るのが新潟の風俗でした。
遊女たちは、毎夜船乗りが遊びに来てくれることを願い、夜中、ひそかに湊稲荷神社に行き、
社頭の高麗犬の頭を西の方に向け、西風が吹いて港口が荒れ、
海がしけて船が出帆できず、船乗りが夜ふたたび遊びに来てくれることを祈りました。


■カテゴリ 伝承 新潟

新潟(映劇大要)毎夜オールナイトです。

昔、遊廓があった古町の周辺は、現在は飲食街や住宅街になっています。
交差点の角に成人向け映画館「映劇大要」が営業しています。

最近ではあまり見かけなくなったオールナイトの映画館です。

入口付近は、衝立がたててあり、中の様子を伺い知ることができません。

暖簾があり、銭湯のような風情です。


■カテゴリ 劇場 新潟