長岡(新遊廓跡)現在も当時の区画が残されています。

今回は、長岡(新潟県長岡市)の町並みと風俗を散歩します。
長岡市文治町(現在の山田3丁目付近)は、かつての長岡遊廓(新遊廓)があった場所です。*1
長岡の遊廓の歴史は古く、元和2年に先手村(現在の千手町)に18軒の茶屋を許可したことに始まります。*2
また、石内町にも遊廓ができ、これを「北廓」と呼び、先手村の遊廓は「南廓」と呼ばれるようになりました。明治40年(1907年)風紀上の問題から「北廓」と「南廓」を文治町に移転し、「長岡新遊廓」と称しました。*2*3

昭和18年の長岡市の市街地図*4 を見ると、文治町のところに「遊」「廓」の2文字が記されていています。長岡花街誌*2 に掲載されている「新遊廓地図」と見比べてみると、現在も当時の区画が残されていることがわかります。

西仲之町、東仲之町と呼ばれた東西の通りと久松小路、助六小路と呼ばれた南北の通りが交差するあたり。遊廓の中心部であったと思われます。

文治町の旧地名は、公民館の名前に残されています。

【参考文献】
*1 南博、他 編:近代庶民生活誌 第13巻(三一書房,1992)P.92「全国遊廓案内」
*2 永田直治郎:長岡花街誌(面白社,1912) 口絵,P.6-P.9
*3 細貝隆司:長岡郷土史(長岡郷土史研究会,1993)P.106-P.117
*4 地図資料編纂会編 :昭和前期日本都市地図集成(柏書房,1987)p.98

遊廓·遊里跡 長岡
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