柏崎(金刀比羅神社)妓楼の屋号が刻まれた玉垣が残っています。

金刀比羅神社には、妓楼の屋号が刻まれた玉垣が残っています。明治42年刊行の「柏崎華街志」の「柏崎華街細見記」*1 には、「港楼」、「豊島楼」、「都楼」など、20の妓楼の屋号が掲載されています。
港楼の玉垣。

豊島楼の玉垣。

金刀比羅神社は、2007年(平成19年)7月16日に発生した「新潟県中越沖地震」で被害を受け、翌月の8月9日に玉垣の撤去作業が行われました。*2
撤去された玉垣の跡が残っています。

山積みにされた玉垣。「都楼」と刻まれています。今回の地震で貴重な玉垣が多数失われたようです。

【参考文献】
*1 小田金平:柏崎華街志(1909) 附録P.5-P.6
*2 神道青年全国協議会ホームページ:新潟県中越沖地震対策本部の設置

柏崎(金刀比羅神社)遊廓の歴史を記す碑があります。

遊廓跡地の西隣に金刀比羅神社があります。

金刀比羅神社は、遊廓と密接な関係があったようです。神社の敷地に遊廓の歴史を記す碑があります。

境内に大きな社殿はありません。2007年(平成19年)7月の新潟県中越沖地震の影響かもしれません。

神社の境内から、遊廓跡地方面を見たところ。

-----新花町と金刀比羅神社(碑文)-----
柏崎の花街は、明治時代、現在の西本町にありました。西から風が吹く柏崎にとって盛り場が町の西側に位置するのは火種を常に風上に抱えている状態であり、度々大火に見舞われました。付近一帯の貸座敷がすべて消失した1911年の桐油屋火事を契機に県からこの地に貸座敷運営許可を与えられ、四国讃岐の本殿より遷宮された金刀比羅宮を基点に遊廓や料理店などが新たに建設されました。

柏崎(柏崎遊廓跡地)新花町

今回は、柏崎(新潟県柏崎市)の町並みと風俗を散歩します。
新花町には、柏崎遊廓がありました。地図で見ると、四角形に区切られた区画があります。

近くには、柏崎温泉のバスの停留所があります。

通りの幅はかなり広く、中央分離帯は緑地帯になっています。

メインの通りが交差するあたり。