佐渡(水金町遊廓跡)案内板と供養塔

水金遊廓跡地に、案内板と供養塔が設置されています。
大黒屋の当時の写真などが紹介されています。

水金町遊廓は、享保2年(1717年)に11軒の遊女屋ができてから、昭和20年過ぎまで、およそ230年ほど続きました。この間、経営者にかなり変動がありましたが、くるわの数が11軒を超えることはありませんでした。11軒は公儀から限られてきたわけではなく、自主的に増えるのを制限したもので、新規にくるわを営むものは、権利を買い取って交代しました。*1

水金遊女供養塔。平成21年5月に建立されました。

水金遊廓の見取り図。

【参考文献】
*1 磯部欣三:佐渡金山(中央公論社,1992)P.242-P.248

佐渡(水金遊廓跡)230年続いた遊女町

相川最初の遊女町は山先町(現在の相川会津町)にありましたが、享保2年(1717年)、相川町北端の水金町へ移転しました。入口(写真奥)には、吉原風に大門が建ち、通路は本町通りと呼ばれ、大門から入ったところに山手へのびるもう一本の小路(写真左側)があり、その本町の東側の角(写真左手前)に「大黒屋」がありました。*1

大黒屋跡。現在は空地になっています。*2

水金川にかかる橋の名前は忍橋といい、一尺四方の丸木六本を束ねた橋になっていましたが、いまは、三日月形に組み合わせた半円形の石橋が残っています。町割りは水金川をはさんで南北(写真の左右)に区画されました。*1

「たまや」という屋号の看板が残っていました。

【参考文献】
*1 磯部欣三:佐渡金山(中央公論社,1992)P.242-P.248
*2 浦和光:佐渡の風土と被差別民(現代書館,2007)P.58 和賀正樹「遊行する聖性」