鯖江(花街跡)旭町

鯖江の旭町。松阜神社の西側には、花街の名残と思われる料亭が現在も営業中です(写真右奥は、料亭中松)。

料亭「富士の家」。

落ち着いた佇まいです。

夜の様子。
鯖江の花街は、平成3年(1991年)まで続きました。*1

《参考文献》
*1 鯖江むかしむかし編集委員会:*鯖江むかしむかし(惜陰小学校,2002)P.196-P.205

昔の人は、お酒の席を楽しくするために、上等なお酒に料理、そして歌や踊りでお客をもてましました。 …read more

鯖江(カフェの建物)弁天遊廓内

弁天遊廓内。市橋楼があった場所の南側には、古い建物が残っています。

「当時の遊廓の町並み」*1 によると、この場所には、カフェがありました。

1971年の住宅地図*2 には、「三楽」と記されています。

2階部分。

鯖江(弁天遊廓跡)現在は住宅地

「当時の遊廓の町並み」*1 によると、河和田街道(国道417号線)沿いの弁天橋の西側が遊廓への入口で、菓子屋、ヘンクツ屋食堂、クリーニング、うどん、そば、金花楼、以上東側(写真右側)、小間物屋、駄菓子屋、以上西側(写真左側)が並び、その奥に、市橋楼、弁天座、泉谷支店、開進楼がありました。

「弁天」の電柱番号札。

写真手前から、市橋楼、弁天座、泉谷支店、開進楼、と並んでいました。*1
現在は住宅地になっていて当時の面影はありません。

市橋楼の東側(写真右側)には、射的場、髪結、斡旋屋が並んでいました。*1
弁天遊廓を取り仕切っていた市橋楼(初代は福井からやってきた人)には、若い衆や女たちが沢山いました。*2

鯖江(弁天橋)弁天遊廓近く。

弁天遊廓が出来て以来、町が賑やかに栄えたので、人々は弁天様を敬って、弁天通りとか、弁天橋、弁天川、弁天湯などと呼ぶようになりました。*1

旭町の交差点から北陸本線のガードをくぐり、東へ100m進んだ柳町。国道417号線と弁天川が交差する場所に弁天橋がかかっています。

弁天橋から北へ100m。橋を渡った西側が遊廓がった場所です。*1*2

弁天川を沿い。遊廓の北側に弁天湯がありました。*3

《参考文献》
*1 鯖江むかしむかし編集委員会:*鯖江むかしむかし(惜陰小学校,2002)P.196-P.205

P.119
弁天橋、市橋楼、弁天座、泉屋支店、開進楼、などの記載あり。

*2 鯖江むかしむかし編集委員会:*鯖江むかしむかし(惜陰小学校,2002)P.196-P.205

P.200
昔から人の集まる所やにぎやかな所には、必ず遊女が集まって来たそうです。こうしてどこへでも現れる遊女は風紀上よくないから、一定の地域に制限するよう、幕府が制度を作りました。そこで鯖江の殿様は、弁天様に近い所へ遊廓を作りました。 …read more

*3 鯖江むかしむかし編集委員会:*鯖江むかしむかし(惜陰小学校,2002)P.196-P.205

P.202-P.205
弁天湯
弁天通り(柳町から横越への道)の中程を北へ曲がると、弁天遊廓があり、そのつき当りに通称弁天湯、または田んぼの湯と呼ばれた銭湯がありました。 …read more

鯖江(弁財天)弁天遊廓の名前の由来となった弁天様

鯖江市旭町2丁目にある弁財天(弁天堂)。
江戸時代中期に鯖江藩ができて、街道沿いの鯖江の町には、武士や用人たちをはじめ人々が集まり、町は栄えました。*1

やがて、清水の湧き出る弁天様の境内には、夜な夜な弁財天のような美しい夜鷹が出没し、賑わいだしました。すると、これは風紀上良くないと、そのわずか東の清水町の外れの今の柳町の一角に通称「弁天」と呼ばれる鯖江の遊女街が造られました。*1

弁財天の前は、「弁天パーク」と名付けられた駐車場のスペースになっています。

本堂。