上田(花やしき通り)上田映劇

上田市中央2丁目。上田の繁華街です。ここに「花やしき通り」と書かれたゲートがあります。ストリップ劇場併設の映画館でしょうか。

「あさくさ雷門ホール」。まるで、昭和の頃の浅草にタイムスリップしたようです。

建物の入口には「上田映劇」と書かれています。

実は、2014年の映画「青天の霹靂」の上田ロケの際、上田映劇通りに作られたオープンセットが現在もそのまま残されているものでした。

■カテゴリ 上田 劇場

上田(飯島商店)上田城の南櫓と北櫓を買い戻して元の位置に戻す運動

駅前の商店街に、上田城の櫓の買戻しに貢献した飯島新三郎の案内板があります。

飯島新三郎は、「みすゞ飴」の創業者で、上田城保存会の副会長でもあり、当時遊郭に転売されていた上田城の南櫓と北櫓を買い戻して元の位置に戻す運動(上田城址保存会)の中心人物でした。*1*2

上田城北櫓の再建の様子。

現在の「みすゞ飴本舗」

【参考文献】
*1 上田市立博物館:郷土の歴史 上田城(上田市立博物館,1988)P.80
【参考URL】
*2 飯島商店:ホームページ 会社概要

上田(上田城の櫓)遊廓へ移築→上田城へ再移築

上田城本丸の南櫓と北櫓は、長野県内では数少ない江戸時代初期の城郭建築の貴重な遺構として、昭和34年に長野県宝に指定されましたが、明治維新後から今日に至るまでの変遷は、波乱に富んだものでした。

廃藩後、明治新政府は上田城を接収、土地や建物を民間に払い下げとした結果、建物のうち、2基の櫓(やぐら)は、上田遊廓の金州楼と万富楼の建物として移築されました。上田遊廓に売られた2棟の櫓は、昭和4・5年頃まで妓楼としての営業を続けた後、廃業しました。現在、本丸入口の左右に並んで立っている2基の櫓(南・北櫓)は昭和戦中から戦後にかけて、遊廓から上田城へ再移築したものです。*1

櫓の内部は見学できるようになっています。

南櫓の梁の下側には、遊廓の建物であったときの痕跡が残っています。

遊廓時代の鴨居あるいは敷居の溝の痕跡。
【参考文献】
*1 上田市立博物館:郷土の歴史 上田城(上田市立博物館,1988)P.77-P.82

上田(上田遊廓跡地)新地

今回は、上田(長野県上田市)の町並みと風俗を散歩します。
明治時代、上田地方の蚕糸業、製糸業、養蚕業の発展は、上田町に活気をもたらし、これら産業界の発展の中で、花柳界が盛況となり、上田町の芸妓は、明治30年頃には、100名を越し、丸堀、連歌町、下道などに芸妓置屋が広まっていました。明治11年、政府の政策もあって上田遊廓が上田町の郊外の常磐城地籍(新地)につくられました。遊廓は、ほぼ正方形の区画をしていて、遊廓内は、大通りと小路からなり、芸妓・娼妓がいる貸座敷楼を中心に、料理屋、菓子屋、人力車屋が周りにありました。*1

明治35年の「上田遊廓地図」*1 に記載されている「琴平神社」が現存します。

「琴平神社」前の大通り。「上田遊廓地図」によると、道の左側には、雑貨商の滝川、奥村、寺島、貸座敷の第二喜多川楼、新中村楼、右側には、料理屋の新月亭、貸座敷の葛城楼、大中村楼がありました。*1

「新地」と書かれた電柱番号札。

【参考文献】
*1 尾崎行也,佐々木清司:上田歴史地図(郷土出版社,1983)P.58-P.59,P.64-P.65,P.93