須坂(青木新道)赤線・青線があった地域

須坂の青木新道には、飲み屋街が形成されていて、青木新道からトテ馬車(人を乗せる馬車)が出ていました。*1

青木新道は、かつて、赤線・青線地域で、7,8軒の店が並んでいました。*1

現在の青木新道には、古びたスナックの建物が残っています。

青木新道の赤線・青線は、昭和32年の売春防止法の施行により廃止となりました。*1

【参考文献】
*1 須坂市誌編さん室 編.  須坂市誌 第2巻 地誌・民俗編(須坂市,2014)P.495

須坂(君が湯)平成になって閉鎖

うきよ小路の奥まったところにある、銭湯の「君が湯」

君が湯は、平成になって閉鎖され、煙突も撤去されました。*1

銭湯は、近所つきあいのあった家族ぐるみの交流の場でした。*1

玄関付近。

【参考文献】
*1 須坂市誌編さん室 編.  須坂市誌 第2巻 地誌・民俗編(須坂市,2014)P.488


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須坂(うきよ小路)料亭「とよ松」

須坂の花街の全盛期は、昭和の初期のころで、上中町のうきよ小路沿いには、芸者衆を抱える置屋軒を連ねていました。戦後、昭和30年代は、戦後の花街の最盛期で、花街の芸者の名入りの手ぬぐいタオルが配られていました。戦時中に疎開してき富士通が電話器製造などで最盛期を迎えていたのもこの時期でした。*1

現在のうきよ小路は、、料亭「とよ松」の建物など、当時の小路の雰囲気が残されています。

うきよ小路の案内板。

須坂の芸者衆も昭和から平成に変わる頃には、徐々にその数が減り始め、長野からコンパニオンを呼ぶようにもなり、平成10年頃には、座敷に揚がる芸者は姿を消しました。

【参考文献】
*1 須坂市誌編さん室 編.  須坂市誌 第2巻 地誌・民俗編(須坂市,2014)P.492-494

須坂(劇場通り)須坂劇場があった通り

須坂の劇場通り商店街(以下、劇場通り)は、須坂駅の南東約1kmのところにあって、全長は約500mです。劇場通りの入口には、商店街協同組合が設置したアーチがあります。劇場通りは、須坂劇場が昭和50年頃まで立地していた通りです。*1

金物屋の建物。

食料品、理容・美容、飲食、クリーニング、靴、薬・化粧品、花卉、衣料品などの商店が建ち並んでいます。*1

反対側(南側)のアーチ。

【参考文献】
*1 須坂市誌編さん室 編.  須坂市誌 第2巻 地誌・民俗編(須坂市,2014)P.406-P.407


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須坂(かなめ町通り)かつての赤線街

今回は、須坂(長野県須坂市)の町並みと風俗を散歩します。
須坂駅前の「かなめ町通り」は、飲食店が連なる通りです。
かなめ町(要町)は、赤線・青線地域で、34,5軒の店が並んでいましたが、これらの店は昭和32年の売春防止法の施行により廃止となりました。また、昭和の戦時中まであった共栄館という映画館は、戦後はダンスホールに生まれ変わり、昭和27年頃まで続きました。当時ダンスホールは、不良の溜り場などと陰口をいわれたこともありました。昭和の中頃は、若者たちは、要町で吞むことが多く、駅前は、昭和40年代までは富士通に通勤する人々で賑わっていましたが、昭和50年頃からバスで富士通の工場まで送迎されるようになってから、賑わいも減っていきました。*1

現在のかなめ町通りは、スナックが複数店入居する商業ビルなど、飲食街の賑わいをたもっています。

かなめ町会館。

スナックの看板。

【参考文献】
*1 須坂市誌編さん室 編.  須坂市誌 第2巻 地誌・民俗編(須坂市,2014)P.492,P.495


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