那加(かつての料亭街)新興市街地の歴史

JR那加駅の南側は、かつては、芸妓置屋が散在する繁華街でした。昭和5年の市街図*1 によると、この通り沿いに、「一楽」「末廣」などの芸妓置屋がありました。
昭和15年当時の商業戸数は、第一位が物品販売業で約60%、これに次いで旅人宿・飲食店が約20%、第三位を芸妓場・遊技場等約13%で、第二位・三位を占める割合が他の県内市街地と比較して大きいことは新興市街地那加駅前の当時の特色の一つでした。*2

八百吉商店(現在の「フルーツやおきち」)の東側には、飲食店が連なっています。

昭和5年の市街図*1 によると、岩井酒店(現在の岩井商店)の東側には、「玉川」「美奈本」「〆乃家」「ぽんた」「静乃家」「春本」などの芸妓置屋が散在していました。

昭和20年(1945年)太平洋戦争が終わると、占領軍が各務原基地に進駐して来ます。占領軍将士およびその関係婦女を対象とする風俗営業場が多く出現し、特に昭和24年には、米軍増駐に伴って、那加駅前地区の市街地には米兵を迎え入れようとする横文字の看板が氾濫しました。*2
那加町の西野は、戦後、米軍にさらた岐阜キャンプ(基地)に隣接して形成された地区で、典型的な戦後型の集団売春街でした。*3
現在、那加西野町という地名が残っています。

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図 岐阜懸第200號(東京交通社,1930)
*2 小林義徳:那加町史(小林義徳,1964)P.501
*3 加藤政洋:敗戦と赤線(光文社,2009)P.136-P.137