三島(唐人町)寛延元年(1748年)朝鮮使節

三島市街の中央町の八坂神社の西側にある細い通りの町並みを昔は唐人町と言いました。*1

現在も、唐人町の地名の名残が見られます。

寛延元年(1748年)朝鮮使節が来朝し、将軍に謁見の途路、正使は旅籠に宿泊しましたが、随員は、ここに宿泊したことから、唐人町と呼ばれるようになりました。*1

140mほどで大通りに出ます(左側は東京三菱UFJ銀行)。*1

【参考文献】
*1 土屋寿山,稲木久男:ふるさと三島(土屋寿山,1989)P.140,P.146

三島(三島遊廓跡地)清住町

江戸時代から300年の歴史を持つ三島町中通りの三島宿場女郎は、大正時代には、時代に減少傾向となりましたが、大正末期に各地に遊廓設置の機運が高まったことを機会に、三島遊廓の設立が検討され、町の風紀上最も影響の少ないと考えられる旧宿場の西南の地(現在の清住町)を買収して三島新地、すなわち三島遊廓を設置しました。*1

三島遊廓があったと思われる場所。
三島遊廓設置時点で、その貸座敷業組合員は、稲妻楼、尾張楼、万寿楼、井桁楼、新喜楼の五楼に減少し、戦時中にもかかわらず最後まで営業を続けたのが新喜楼経営の村岡氏でした。

電柱のプレートには、「新地」の名が確認できます。

旧三島遊廓の近くにある貯水池。

【参考文献】
*1 三島市誌編纂委員会:三島市誌 中巻(三島市,1959)P.433-P.434

三島(源兵衛川水辺の散歩道)鉄道の線路沿い

源兵衛川は、三島市街を約1.5キロ流れるの美しい清流です。
伊豆箱根鉄道駿豆線の三島広小路駅近くでは、鉄道の線路と平行して、「源兵衛川水辺の散歩道」が整備されています。

「水辺の散歩道」から見た駿豆線の電車。

「水辺の散歩道」は、線路の下をくぐって、源兵衛川を飛び石伝いに横断します。写真右上の水色の建物は、「ヘルス銀座」です。

線路の下をくぐると、源兵衛川の川原に出ます。ここも遊歩道の一部(近道)です。

三島(桜川沿いのホテル)水の都

今回は、三島(静岡県三島市)の町並みと風俗を散歩します。
三島は、古くより「水の都」と呼ばれ、市内各所で富士の湧水が噴出してすばらしい水辺環境を有しています。
白滝公園脇を流れる桜側は、三島の市街を流れる川の一つです。

川沿いにたたずむ「ホテル桜川」。

その奥の旅館は、外壁の工事中でした。

素泊まり3000円の看板。