半田(思案橋)行こか帰ろうか

ミツカン酢の工場(写真奥)からJR半田駅方向に向かって、新川という川が流れていましたが、現在は、銀座通りの思案橋まで蓋をしてしまって、川とは分からなくなってしまいました。現在の思案橋は、東側だけ欄干があって橋のように見えます。*1

反対側の西の方を見ると、橋には見えません。

欄干には、「思あんばし」と書かれています。

この橋から北側が銀座通りで、駅前の大歓楽街でした。戦前には、料亭、カフェ、飲み屋、芸者置屋、飲食店、旅館などが100軒以上軒を連ねていました。知多半島の南から来た人たちが、自分の懐を見て、「もう1軒行こか、カカのところへ帰ろうか」と悩んで思案した橋だから「思案橋」と名前が付けられました。*1

【参考文献】
*1 片山市三:半田の轍(一粒社出版部,2008)P.17-P.18


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■散歩事典 半田 新川

半田(井筒旅館)かつての料亭

昭和の初め、「三扇楼」と言われる最高級料亭の「春扇楼末廣」「古扇楼」「福扇楼」がありましたが、二流料亭としては、「三広」と呼ばれた「広定」「広光」「広久」、「二大」と呼ばれた「大六」「大半」があり、あわせて「三広二大」と呼ばれていました。*1
1961年の「半田商工名鑑」*2 を見ると、料理旅館の項に、上記「三扇楼」と「二大」、亀崎の「望洲楼」などがあって、料亭の項に、「広光」「井筒」「永楽」「川竹」「千もす」「むつみ」の名があります。

料亭「井筒」。

ベンガラの塀。

西側にも入り口があります。

【参考文献】
*1 片山市三:半田の轍(一粒社出版部,2008)P.19-P.24
*2 半田商工会議所:半田商工名鑑1961(半田商工会議所,1961)P.105


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■散歩事典 半田

半田(料理旅館末廣)半田の最高級料亭

半田の最高級料亭は、明治時代から決まっていて、「三扇楼」と言われる「春扇楼末廣」、「古扇楼」、「福扇楼」でした。これらの店は明治13年の明治天皇の行幸(ぎょうこう)による陸軍大演習の時にもその御用を治め、料理はとびっきりで、芸者もお抱えで持っていました。*1

現在は、「料理旅館末廣」となっていますが、昭和10年頃の「半田駅前商店街」*1 には、「春扇楼末廣」と記されています。

鮮やかにベンガラ色に装飾された塀。

北側の空き地からの遠望。

【参考文献】
*1 片山市三:半田の轍(一粒社出版部,2008)P.19-P.24


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■散歩事典 半田

半田(検番跡) 山之神社周辺

今回は、半田(愛知県半田市)の町並みと風俗を散歩します。
山之神社周辺の一帯には、料亭や飲食店、旅館が多い花街でした。*1

神社の前の通り。

古い住宅地図*2 によると、この付近に検番がありました。

花街らしい風情が残っています。

【参考文献】
*1 陣内秀信,岡本哲志:水辺から都市を読む(法政大学出版局,2002)P.422
*2 善隣出版社:半田市(善隣出版社,1958)P.98-P.99