口之津(原城跡)島原遊廓の名前の由来

口之津から島鉄バスで約20分、原城前のバス停で下車。そこから原城跡までは徒歩約10分です。
原城は、島原の乱最後の舞台となった場所です。

京都の島原遊廓の名前の由来は、島原の乱というのが定説です。六条三筋町の遊郭が強制移転させられたとき、その命令があまりに唐突であったため業者は大混乱しました。その混乱の状況が島原の乱のようだったので、新遊廓を「島原」と称したというわけです。*1

原城跡の碑。

島原の乱の総大将となった天草四郎時貞の像。島原遊廓の命名のきっかけをつくった人物です。

【参考文献】
*1 明田鉄男:日本花街史(雄山閣出版,1990)P.25

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嶋原(嶋原遊廓跡)花街の風情が残るメインの通り

遊廓中央部を東西に貫くメインの通りは、「胴筋(どうすじ)」と呼ばれていました。胴筋の両側には、置屋、揚屋、茶屋などの遊廓特有の建築の他に、「素人屋」と呼ばれる一般市民生活に必要な物品の業者も入居していました。*1

胴筋を逆方向から見たところ。奥に見えるのは大門です。

洋風の建物もあります。

「きんせ」という名前の観光旅館。島原には、このような旅館が数軒あります。

【参考文献】
*1 明田鉄男:日本花街史(雄山閣,2002)P.26

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嶋原(大門)京都市登録有形文化財です。

今回は、嶋原(京都府)の町並みと風俗を散歩します。
嶋原は、江戸時代に公認されていた花街で、寛永17年(1640年)に、嶋原の前身である六条三筋町から現在の地に移されました。その混乱の状況が九州で起きた島原の乱(寛永14~15年)を思わせたことから、新遊廓は嶋原と呼ばれるようになりました。*1
遊廓の入口には大門があります。

大門は木造で、堅固な屋根をつけています。門の左右の通路(袖門)は、門が閉まった後の急用通路として使われました。*2

時代劇でよく見かけるものと同じものがあります。

大門は、京都市登録有形文化財に指定されています。

【参考文献】
*1 明田鉄男:日本花街史(雄山閣,2002)P.25
*2 小野武雄:吉原と島原(講談社,2002)P.81

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