宮津~伊根(舟屋の内部)水際ぎりぎりに建てられています

山側に平入りの母屋、道をへだてて海側に妻入りの舟屋がならびます。母屋のまん前の舟屋が同一人物の所有です。*1

海の中に建てられているように見える舟屋は、実は水際ぎりぎりに建てられ、舟をひきあげやすいように、地面が斜めに切り取られており、海水が2メートルほど中まで入り込む構造になっています。*1

舟屋は、舟や漁具の格納庫であり、漁具・漁網の干場であり、出漁準備の作業場でもあります。魚の料理場や干物の干場にもなります。

昔の舟屋は藁ぶきで、板や土の壁はつくらず、わらや古縄を下げた風通しのいい造りになっており、二階も低く床板をはらず、足場板を並べただけのものでした。*1

【参考文献】
*1 和久田幹夫:舟屋むかしいま(あまのはしだて出版,1989)P.4-P.8

宮津~伊根(四軒町)花街時代の面影が残っています

新浜通りの和風スナックのトンネル路地(ろーじ)。四軒町と呼ばれています。

入口を逆方向から見たところ。

宮津ぴんと館は、当時の建物が再現されています。

木格子窓に当時の面影が残っています。*1*2

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く 完結編(自由国民社,2007)P.98-P.99
【参考URL】
*2 丹後広域観光キャンペーン協議会:のんびりぶらぶらホームページ 宮津市街地

宮津~伊根(新浜通り)千本格子の花街の風情が残る通り

新浜通りは、千本格子の花街の風情が今も残る通りです。
「全国女性街ガイド」*1 によると、新浜の遊廓は(京都の)島原遊廓そのままの遊廓であったと描写されています。

花街のメインストリート。*2

古い建物が軒をつらねます。*2

このあたりには、検番(新浜歌舞練場)がありました。

【参考文献】
*1 渡辺寛:全国女性街・ガイド(季節風書店)P.176
*2 木村聡:赤線跡を歩く 完結編(自由国民社,2007)P.98-P.99

宮津~伊根(宮津節の碑)縞の財布が空となる

今回は、宮津(京都府宮津市)の町並みと風俗を散歩します。
「丹後の宮津」は、日本三景の「天橋立(あまのはしだて)」にむすばれ、情緒の港町ともいわれました。また、色町のさかんであることも有名で、天保13年(1842年)に魚屋町海岸に「新浜廓」をひらいたことから、一段と幕末の「丹後の宮津」を売り出し、当時流行の「縞の財布」の底をはたこうと、海からも陸からも多くの遊客が集まりました。*1

宮津桟橋近くの国道176号線沿いに、宮津節の碑があります。
♪二度と行こまい丹後の宮津
♪縞の財布が空となる
♪丹後の宮津でピンとだした

宮津節の碑のある場所のすぐ隣の波止場児童遊園に「見返り柳」があります。

当時を偲ぶよすがとなっています。

【参考文献】
*1 岩崎英精:丹後の宮津(天橋立観光協会,1963)P.4-P.5