熱海(スナック千夜)糸川べり

熱海の糸川べりには、歓楽街の名残を感じさせるスナックなどの建物が残っています。

建物の角の部分の装飾。

側面部分。入口のドアは斜めに取り付けられています。

スナックの看板。

生玉町~谷町(空堀商店街)表札をまとめて掲げている歌舞伎門

空堀商店街は、谷町六丁目の上町筋から谷町筋を経て松屋町筋にいたる東西800mに連なる、まさに都心の商店街です。「空堀」の地名の由来は、この東西の通りが豊臣秀吉が築造した大阪城の三の丸の外堀であり、慶長19年(1614年)の大阪冬の陣の後に徳川方に埋められてしまい、空堀になったことからきています。幸いにも昭和20年の大阪大空襲からは奇跡的に逃れたたため、現在も戦前からの町並みや暮らしが受け継がれています。*1

一見、何の変哲もない住宅街ですが...。

よく見ると、家と家の間に路地の入口(歌舞伎門)があります。*1*2

路地の住人の表札をまとめて掲げてあります。「石丸会」は、路地組合の名前です。*1*2

【参考文献】
*1 栗本智代:大阪まちブランド探訪(創元社,2006)P.10-P.11
*2 橋爪紳也:大阪新・長屋暮らしのすすめ(創元社,2004)P.21,P.25

生玉町~谷町(生國魂神社)井原西鶴像

谷町九丁目交差点近くにある生國魂神社(生玉神社)。豊臣秀吉が大阪城築城の際に、当時遊楽地だったこの地に移されました。*1

境内に、井原西鶴像があります。
井原西鶴(1642年-1693年)は、錫(すず)屋町(現在の谷町三丁目付近)に住んでいたので、その南側に位置する生玉に親しみを持っていました。*1

井原西鶴は、「好色一代男」で浮世草子(うきよぞうし)という江戸時代の風俗小説のジャンルを始めた人です。日本の古典小説家でユネスコが大文学者として認めたのは、この西鶴と紫式部の二人だけです。*2
「好色一代男」の二十歳のくだりでは、「中寺町の女、小橋の坊主ごろしの女など、色町に出入りするのは気のひける隠居じじいのとっておきの銀(かね)をまきあげてしまう...」*3 と、生玉あたりの寺々の坊主相手の娼婦について触れられています。*1

生國魂神社の周囲にはラブホテルが密集しています。好色の世の中は、昔も今も少しも変わっていません。*1

【参考文献】
*1 大谷晃一:西鶴文学地図(編集工房ノア,1993)P.11-P.13,P.53,P.60
*2 宗政五十緒,西野由紀:なにわ大阪今と昔(小学館,2000)P.89
*3 井原西鶴好(吉行淳之介訳):好色一代男(中央公論社,1981)P.62

生玉町~谷町(上町台地のラブホテル)ミスマッチがワンダフル

今回は、生玉町(大阪府大阪市天王寺区)谷町(同中央区)の町並みと風俗を散歩します。
谷町九丁目の南側に、上町台地と呼ばれる南北に連なる細長い台地があります。この付近には、「天王寺七坂」と呼ばれる趣深い美しい坂道があって、散策コースとなっています。七坂のひとつ、源聖寺坂は、石畳が階段状に続く風情のある坂道です。*1

寺院が密集する霊験あらたかな静かな道の周囲はラブホテル街で、「ミスマッチがワンダフル」「いかにも大阪」と喜んでカメラを構える外国人も多いユニークな名所です。*1

ギリシャ神殿を思わせる荘厳な建築。

銀山寺付近から西方を見たところ。南海サウスタワービルが見えます。

【参考文献】
*1 橋爪紳也:大阪力事典(創元社,2004)P.249