飛田(「慰霊碑」 と 「慈母観音 」)飛田遊廓発祥の地

「鯛よし百番」の斜向かいに、「慰霊碑」 と 「慈母観音 (無縁仏)」があります。碑には、「慈悲共生」と刻まれています。

慰霊碑・慈母観音は、いろいろな事情により飛田遊廓で働き、居住をしていた多くの男女 (遊女) の方々が様々な事情や世間の風評で、遊郭外に移住することもままならず亡くなられた霊が安らかなれと願い建てられたものです。(案内板より)

案内板には、「飛田(遊廓)新地料理組合の歴史」が書かれています。
明治45年の「南の大火」によって、難波新地が消失し、その後、原っぱ同然だった天王寺東松田西松田の一部に通称「飛田遊廓」が指定されました。戦中は大きな被害を受けましたが、戦後は赤線として復興しました。昭和33年「売春防止法」後は、料理組合として誕生しました。

「慰霊碑」の裏側は、飛田遊廓発祥の地の碑になっています。

飛田(料亭「百番」)登録有形文化財

今回は、飛田(大阪府大阪市西成区)の町並みと風俗を散歩します。
旧飛田新地の南東の角地に料亭「百番」があります。木造2階建、入母屋造、桟瓦葺の建物は、登録有形文化財に指定されています。

玄関部分付けられた唐破風。

2階には、擬宝珠高欄が巡らされています。

飛田の歓楽街の殷賑を色濃く今に伝える貴重な建物です。

飛田(太子地蔵尊跡地)2010年3月に撤去

西成区萩之茶屋の地下鉄堺筋線の動物園前駅近く。

ビルの谷間に、小さな空地があります。

ここには、「太子地蔵尊」と、「飛田墓地無縁塔」がありましたが、2010年3月に撤去されてしまいまいた。江戸時代の元和年間(1615年~24年)、飛田に墓地が移され、刑場も置かれました。「太子地蔵尊」はもともと墓地内にあったお地蔵さんで、「太子」という町名の起源にもなりました。*1

長い間、地元で地蔵の世話をしてこられた方が亡くなった後、地権者が地蔵と石碑を排除して更地にしてしまい、どこかに移築したのか廃棄したのか、まったく不明です。悔やまれて仕方がありません。*1

【参考文献】
*1 趙博:パギやんの大阪案内ぐるっと一周〈環状線〉の旅(高文研,2012)P.146-P.147

飛田(旅館「明楽」)温泉マーク

大坂環状線と阪神高速が交差するあたり。 てんのじ村記念碑(上方演芸発祥の地)の近くに古い旅館の建物があります。

建物脇の路地を入った奥まった所が旅館の入口です。

豪華の家具、明るい洋室。気楽できれいな日本間。

温泉マーク。

飛田(和幸浴場)多数の張り紙。

飛田新地の北側、山王の住宅街。

銭湯の和幸浴場があります。

露天風呂の他、たくさんの種類の風呂があって、のんびりできます。
浴場の中には、次にように書かれた貼り紙が多数貼られています。
「他人の体に触れたり必要以上に近くに座ったり、何度も異常に接近したり、目にして不快な行為をしたり、このような行為をした方は今後入浴をお断りし、警察に通報致します。」

銭湯は、朝から営業しています。

飛田(オーエス劇場)大衆演劇

飛田本通商店街を通天閣を世にした入り、少し行くと左手(東側)の路地に「オーエス劇場」の看板が見えます。

小沢昭一さんの「私は河原乞食・考」*1 に、かつての「トビタOSヌード劇場」のことが書かれていますが、現在の大衆演劇「オーエス劇場」の前身だと思われます。

入場料は、1300円とリーズナブルです。

「オーエス劇場」の道を挟んだ反対側の建物も風情があります。

【参考文献】
*1 小沢昭一:私は河原乞食・考(岩波書店,2005)P.63

飛田(飛田新地料理組合)町への強い想い

今回は、飛田(大阪市西成区)の町並みと風俗を散歩します。
山王地区の商店街から、「飛田新地料理組合」と記された大きな看板が見えます。この先は、飛田新地の店がずらっと並ぶ一画です。

飛田新地料理組合。

組合執行部はボランティアで、どれだけ町への想いが強いかが参加基準です。*1

商店街の側には、「飛田会館」と書かれた門があります。

【参考文献】
*1 週刊文春 2011. 7.28

飛田(激安自販機)いち、にい、サンガリア

西成区には、町のあちこちに安売り自販機が設置されています。

その中でも激安なのが、缶ジュース1本50円の自販機です。

激安自販機に必ず品揃えされている「サンガリア」の缶ジュース。350ml入りで50円です。通常は120円の有名メーカーの缶コーヒーも、ここでは1本70円です。

「いち、にい、サンガリア、にい、にい、サンガリア」のCMでおなじみでした。

飛田(アルサロ跡)大人の社交場

「飛田本通り商店街」を南へ行くと「飛田本通り南商店街」です。

「紳士の社交場」の看板があります。

現在は営業していないようですが、昔懐かしいアルサロがあります。

看板も凝っています。

飛田(猫塚)三味線の胴の形

今回は、飛田(大阪府大阪市西成区)の町並みと風俗を散歩します。
動物前駅から飛田新地に至る飛田本通り商店街は、旅芸人の面影を残している通りです。途中の「オーエス劇場」という名の芝居小屋を過ぎ、西側に路地を入ると「松乃木大明神」という名の稲荷神社があります。

商店街の路地裏の住宅地のど真ん中にあって、探すのに苦労する場所です。

ここに、三味線の胴の形を猫塚があります。猫塚は、三味線の皮にされた猫の供養塚です。周りには、浪速節語りなどの遊芸民やテキヤの親分の興行主が寄進した小さな碑がずらりと並んでいます。*1

玉垣には、浪曲師の名前が刻まれています。

【参考文献】
*1 沖浦和光:旅芸人のいた風景(文藝春秋,2007)P.232

飛田(飛田新地)夕方になると人通りが増えてきます。

夕方になると、お店に提灯が灯ります。これからが飛田新地の始まりです。

店には女性とやり手婆が座り、客を待ちます。顔を明かりで照らしているせいか、女性はみな美人に見えます。女性は、10分か15分毎に交代するお店が多いようです。

青春通りと呼ばれる北部の通りは、客には若い男性が多いようです。店の女性も若く、皆20歳前半に見えますが、中には19歳ぐらいに見える子もいます。ドレスを着てポーズをとっている女性、女子高生の制服やメイド服を着た女性もいます。個人的には、和服を着た女性が気に入りました。

店の前で、交渉している客がいます。

飛田(飛田新地)壁に囲まれたちょんの間

飛田大門から、いよいよ飛田新地の中へ入ります。
まず、目に入るのが高速道路。飛田新地のほぼ真ん中をを高速道路が走りぬけます。東京の風俗地帯では見られない光景です。

しばらく歩くと、反対側の壁が見えてきます。壁には階段があり、阿倍野地区へぬけることができます。整備された綺麗な階段です。

登ったところから見た壁の側面と飛田新地。こうやって見ると、飛田新地はくぼ地にあることがわかります。

壁の上から見た飛田新地。2階建ての建物がずらっと並ぶ光景は圧巻です。

飛田(大門跡)最近立て替えられて新しくなりました。

動物園前商店街がつきるあたりに、大門跡の碑があります。

「TOBITA」と書かれた大門のモニュメント。

最近、碑が新しく立て替えられたようです。

飛田大門のことが次のように紹介されています。
「明治45年の火災によって廃止となった難波新地の遊郭の代替地として、飛田遊郭は大正7年に開郭しました。飛田大門は開郭当時から飛田新地の玄関口として機能していました。そして、昭和12年に遊客数として松島新地を上回りました。昭和20年には太平洋戦争で、大門通りの南側の東の一部と西部を消失しましたが、大門は消失を免れました。その後、昭和33年に飛田遊郭は、廃止となりましたが、飛田大門は当時の面影を伝えるものとして、現在も地域の人々に親しまれています。」