堺(フェニックス横丁)復興の象徴

堺市街の北西から南東にかけて、フェニックス通りと呼ばれる幅50mの大通りがあります。フェニックス通りの名称の由来は、堺大空襲からの復興の象徴として植えた、126本のフェニックスの苗木です。
このフェニックス通りから1本道路を入ったところにフェニックス横丁があります。

2つの建物の間に計画的に作られた横丁です。

50mぐらい離れたところに、もう一つのフェニックス横丁があります。

2つの建物の間に路地があるという構造や看板の取り付け方も同じです。

 

堺(神明神社)龍神遊廓の玉垣

新地にある神明神社は、堺のお伊勢さんと呼ばれている神社です。

龍神遊廓の楼主が寄進した玉垣が残されています。

「艶乃家」。

「愛乃家」など、艶っぽい屋号の玉垣がたくさんあります。

堺(新地内の旅館)栄橋遊廓跡地

新地内のこの付近には、栄橋遊廓の事務所がありました。*1

かつての栄橋遊廓の事務所があったあたりに、古い旅館があります。

周囲は近代的なビルに建て代わっている中で、この旅館は昔のままです。

艶っぽい窓です。

【参考文献】
*1 今井清治郎:堺市實測地圖 訂正3版(文岳堂編輯部,1912)

堺(新地内の旅館)水色のタイル

かつて遊廓があった新地は、現在は住宅街となっていてその面影はありません。

レトロな旅館があります。
このあたりには、龍神遊廓の事務所がありました。*1

玄関は、美しい水色のタイルで装飾されています。

「いずみ荘」の看板。

【参考文献】
*1 今井清治郎:堺市實測地圖 訂正3版(文岳堂編輯部,1912)

堺(新地)龍龍遊廓と栄橋遊廓

天保年間(1830年~1843年)、戎島(現在のイトーヨーカド周辺)の南に水路を隔てて新しい埋立地ができ、ここに茶屋などが続々と集まって俗に新地と呼ばれるようになりました。

新地の東側には、栄橋と龍神橋の二つの橋がかかっています。

新地は地の利を得て次第に発展し、遂に龍龍遊廓と栄橋遊廓となりました。*1

龍龍遊廓は貸座敷108軒、芸妓395名、娼婦20名。栄橋遊廓は60軒、娼婦654名。府下でも有数の遊廓となりました。*1

【参考文献】
*1 松本壮吉:堺あれこれ(堺商工会議所,1972)P.84

堺(乳守遊廓跡地)山ノ口橋の袂にありました。

今回は、堺(大阪府堺市)の町並みと風俗を散歩します。
堺は、堀で囲まれた町です。戦国時代に築かれた環濠は、自治都市堺の象徴でもありました。

町の南端の堀に山ノ口橋があります。この橋の袂には、かつて、乳守遊廓がありました。

室町時代より、町の北側には高須遊廓がありましたが、これに対抗して町の南側にできたのが乳守遊廓でした。元禄8年には高須は15軒の遊女屋に97人の遊女がいましたが、乳守の方には、24軒に167人の遊女がいました。*1

乳守遊廓事務所があった付近。

【参考文献】
*1 松本壮吉:堺あれこれ(堺商工会議所,1972)P.60,P.84