枚方(TSUTAYA社長宅)名前の由来は祖父がやっていた置屋の屋号。

旧枚方検番の脇は、「水面回廊」と呼ばれる整備された公園になっています。淀川からの用水路を整備したものだそうです。
地元の人の話によると、検番(写真の左側)の向かいにある立派な建物(写真の右側)は、レンタルビデオショップ「TSUTAYA」の創業者の増田宗昭さん(カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)の代表取締役社長)の自宅だそうです。

2階は全面ガラス貼りになっています。

「増田」と書かれた表札。住宅地図*1 で確認してみると、増田宗三(父親)の名前が記載されています。

社長宅の風格があります。

「TSUTAYA」という店名は、増田宗昭社長の祖父が置屋を経営していて、その屋号が「蔦屋」だったことから、「蔦谷書店」という店の名で1号店をオープンしたことに由来します。
1号店の開店当日、友人から江戸の出版人の蔦谷重三郎の話を聞かされ、「実は祖父がやっていた置屋の屋号でして」というより、「蔦谷重三郎の名にあやかりました。」といったほうが、重厚でよいのではと考え、以来、「TSUTAYA」は、蔦谷重三郎から名をとったということにしているそうです。*2
蔦谷重三郎は、吉原生まれ。安永2年(1773年)に吉原大門の前に書店を開き、はじめは吉原細見(店ごとに遊女の名を記した案内書)の出版・販売を手がけ、後に、本格的に出版業を拡大。洒落本や狂歌本などのヒット作を次々に刊行しました。
ちなみに、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)のホームページ*3 には、
①祖父が事業(置屋)を営んでいた際の屋号が「蔦屋」であったこと
②蔦屋重三郎にあやかり名付けたこと
の2つの理由から名付けられたと書かれています。
【参考文献】
*1 ゼンリン住宅地図 大阪府枚方市南部(ゼンリン,2005)P.15
*2 増田宗昭:情報楽園会社(徳間書店,1996)P.14
【参考URL】
*3 カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)ホームページ

枚方(旧枚方新地)旅館玉光の建物は無くなっていました。

旧枚方新地(桜新地)の入口あたり。

二階家が軒をつらねます。住宅は建て替えが進んでいて、昔からの建物はほとんど残っていません。

「赤線跡を歩く」*1 で、「中心部にあってひときわ目を引くお宅」と紹介されていた玉水旅館の建物は残念ながら取り壊され、さら地になっていました。

1階が洋風に装飾されている建物。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.202

枚方(枚方公園駅周辺)旧遊廓は、枚方公園駅の西側にありました。

今回は、枚方(大阪府枚方市)の町並みと風俗を散歩します。京阪本線枚方駅の一つ隣の枚方公園駅で下車します。

江戸時代の枚方宿は、現在の枚方公園駅から枚方駅の間の旧道沿いにあり、そこに飯盛女がいました。
天保9年(1838年)には、旅旅籠57軒に飯盛女78人となっており、その他に下女97人が存在していました。*1
その後、明治41年(1908年)に桜新地という行政区ができ、枚方遊廓の貸座敷は、桜新地への移転が進められました。*2

「赤線跡を歩く」の地図*3 を見ると、枚方遊廓があった場所は、旧道沿い(枚方公園駅と枚方駅の間)であるかのようにに見えますが、そうではなく、枚方公園駅の西側です。
駅から青少年センターを過ぎ、お寺の先の三叉路を西へ行ったところ(現在の桜町)です。

三叉路を北側(淀川方向)から見たところ。この商店の前の道を西側(写真右側)へ行きます。

【参考文献】
*1 宿場町枚方を考える会:枚方宿の今昔(宿場町枚方を考える会,1997)P.46
*2 京都橘女子大学女性歴史文化研究所:伝えたい想い 枚方の女性史(枚方市,1997)P.84
*3 木村聡:赤線跡を歩く(ちくま書房,2002)P.202