大和郡山(金魚池)心温まる田園風景です。

町の南側には、金魚を養殖する池が広がっています。心温まる田園風景です。
大和郡山の金魚養殖は、奈良盆地の気候条件が養殖に適していることと、溜め池が多いことから、発展しました。
その起源は、宝永年間に佐藤三左衛門という商人が、飼育に精通し、その業を伝えたのが始まりとされ、明治維新後に本格的に名声を勝ち得るようになりました。*1*2

金魚池(正しくは金魚田と呼ぶそうです。)のそばを走る近鉄電車。
郡山市内には、金魚田は、全部で100ha、養殖農家は、約80戸あり、年間8,000万匹の金魚を出荷しているそうです。*3

出荷を待つ金魚(金魚資料館にて)。

金魚池に立つ「ちかん注意看板」。理由は解りませんが、金魚池には、ちかんが出没する模様です。

【参考文献】
*1 柳沢文庫専門委員会:大和郡山市史(大和郡山市,1966)P.831,P.833
*2 三木 理史:総合研究所所報(2006)「大和郡山金魚史料について」P.111
*3 Front(2003.7)「金魚のまち大和郡山を行く」P.7

大和郡山(東岡町)三層楼が密集しています

近鉄郡山駅を線路沿いに南へ5分ほど歩くと、東岡町です。ここにも遊廓がありました。三階建ての木造建築など、20軒ほどが密集しています。

かなり大型の三層楼。どっしりとした感じです。

メインの通り。人通りは、ほとんどありません。

こちらの三層楼は、正面部分のみが洋風にアレンジされています。

大和郡山(洞泉寺町周辺)木造3階建ては迫力があります。

明治25年制定の「貸座敷娼妓営業取締規則」では、大和郡山市の洞泉寺町、東岡の2箇所に貸座敷娼妓営業の区域がありました。*1
洞泉寺の周辺には、木造の建物が残っています。

大信寺というお寺の隣にある木造の建物。木造3階建ての建物は迫力があります。

同じ建物を正面から見たところ。

ハート型の窓。

【参考文献】
*1 奈良県警察史編集委員会編:奈良県警察史. 明治・大正編(奈良県警察本部,1977) P.428

大和郡山(駅周辺)歴史と金魚の町です。

今回は、大和郡山(奈良県)の町並みと風俗を散歩します。
大和郡山への交通は、JR郡山駅か近鉄郡山駅のいずれかで下車します。

JR郡山駅に、「女王卑弥呼コンテスト」のポスターがありました。 「女王卑弥呼コンテスト」は、「邪馬台国は大和郡山市に存在した」との学説*1 にもとづくもので、応募資格は、奈良県内に在住・在勤・在学の18歳以上の女性で、未婚・既婚は問わないそうです。*2 ミスコンではないため、主婦でもOKということです。

JR郡山駅から、近鉄郡山駅へ向かう商店街の途中、軒下に金魚がぶら下がっているお宅があります。大和郡山は、金魚の産地として有名です。

近鉄郡山駅近くの踏み切り。ポイ捨て看板にも金魚の絵がかかれています。まさに、金魚の町です。

【参考文献】
*1 鳥越憲三郎:大いなる邪馬台国(講談社,1975)
【参考UPL】
*2 卑弥呼プロジェクトホームページ