新宮(中上健二さん生家跡)案内板があります。

新宮市春日に新宮出身の小説家の中上健次さんの生家跡の案内板があります。*1*2

中上健二さんの代表作のほとんどは、故郷の新宮を中心に、熊野・紀州の風土を背景としたもので、浮島遊廓や女郎などの題材も頻繁に登場します。

小説「千年の愉楽」に登場する「天地の辻」。*1
写真の建物(新宮市人権教育センター)には、中上健二さんの展示があります。

小説「枯木灘」「奇蹟」、「地の果て 至上の時」で登場する「新地」と呼ばれた歓楽街があったあたり。*1

【参考文献】
*1 和賀正樹:熊野・被差別ブルース(現代書館,2010)P.12,P.74,P.132
*2 上原善広:日本の路地を旅する(文藝春秋,2009)P.12

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新宮(大王地の料亭街)「南国の宝石」と呼ばれたころ

江戸時代、新宮は上方と江戸を結ぶ海上の要衝で、木材や薪炭の集散地として栄えました。熊野速玉大社南側に、大王地と呼ばれる旧花街がありますが、新宮が「南国の宝石」と呼ばれたころの殷賑が見てとれます。*1

飲食店やスナックが軒を連ねますが、老舗の建物も多く残されています。

かつて、料亭だったと思われる建物が建ち並びます。

入口にタイルの装飾がある和風の建物。

【参考文献】
*1 和賀正樹:熊野・被差別ブルース(現代書館,2010)P.17-P.18

新宮(浮島遊廓跡地)現在の浮島の森の北側

明治時代中頃まで、群馬県と和歌山県だけには遊廓が設置されていませんでしたが、日露戦争後の軍国主義華やかな時代、兵営誘致のためには遊廓の設置が必要との考えが浮上し、明治39年、日高郡白崎村糸谷、東牟婁郡大島村、東牟婁郡新宮町合筋の3ヶ所に遊廓が設置されました。新宮町合筋に設置された遊廓は通称「三本杉遊廓」と呼ばれましたが、明治45年の大火により消失し、大正2年に浮島に移転し、浮島遊廓として終戦まで続きました。*1

「浮島遊廓造成地図」*2 によると、遊廓があった場所は、現在の浮島の森の北側の公園のあるあたりで、北側の山を切り崩して土地を造成して遊廓が建設されことが確認できます。写真奥の保健センターがある場所にも妓楼が建っていました。

遊廓跡地全景。

北側の遊廓の正面の道路。道幅が途中で広くなっています。

【散歩地図】

【参考文献】
*1 熊野地方史研究会:熊野誌 第22号(新宮市立図書館)「新宮遊郭始末記」P.151-P.163
*2 新宮市立図書館(所蔵):浮島遊廓造成地図

新宮(神倉神社)勃起した男根

今回は、新宮(和歌山県新宮市)の町並みと風俗を散歩します。
新宮には、熊野三山の一つである熊野速玉大社がありますが、神倉神社は、その摂社(速玉大社の管理下にある小さな神社)です。神倉神社への案内板に「熊野比丘尼」と書かれています。
比丘尼(びくに)とは、尼さんのことですが、この熊野比丘尼が布教や信者獲得を行い、熊野詣でを勧めました。*1
熊野比丘尼は、熊野三山から免許状を与えられる代わりに、布教で得た売上金を熊野三山に上納しました。*2
しかし、江戸時代元禄期以降になると、困窮のため熊野の統制から離脱し、売色行為を行う「売女比丘尼」も現れました。*3

神倉神社の入口の鳥居。自然石を積み重ねたかなり急勾配の参道が続いています。

石段を登りきるとご神体のゴトビキ岩があります。
ゴトビキ岩は性器崇拝の観点から勃起した男根と解釈されています。*4*5

ゴトビキ岩から見た新宮市街。

【参考文献】
*1 光田憲雄:江戸の大道芸人(つくばね舎,2009)P.101
*2 根井浄,山本殖生:熊野比丘尼を絵解く(法藏館,2007)P.460-P.463
*3 曽根ひろみ:娼婦と近世社会(吉川弘文館,2003)P.77-P.83
*4 町田宗鳳:エロスの国・熊野(法蔵館,1996)P.107-P.110
*5 洋泉社編集部:いちどは行ってみたい日本の聖地(洋泉社,2010)P.78-P.79

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