倉吉(倉吉遊廓跡)越殿町

倉吉の遊廓は越殿町にあって、最も多い時で80人もの女性がいました。彼女達は、倉吉や東伯出身の人は少なく、多くは県外者でした。公認の遊廓でないので遊興費は僅かで済み、親切で純朴な美人が多いのがこの廓の面白さでした。*1

倉吉考*1 に写真が掲載されている建物。遊廓時代の雰囲気を伝えています。

建具の格子は美しく見事です。

この場所だけが道路の幅が広くなっています。

【参考文献】
*1 生田昭夫:倉吉考(堂設計室,1980)P.58

倉吉(旧料亭街)料亭の建物の名残

倉吉の旧市街の岩倉町は、料亭などの商店が立ち並ぶ賑やかな通りでした。

案内板によると、この通りは、昔からの町人町で、江戸時代には大店も多く、一時期は料亭もたくさんあって、戦前この町の若いもんが出征する時は芸者衆が三味・太鼓で見送ってくれたそうです。

地元の方の話によると、西岩倉町の通りには花街の名残と思われる旅館の建物が最近まで残っていたそうですが、現在はその面影はありません。
大正3年の「倉吉案内記」によると、芸妓検番事務所が越中町(西岩倉町の西隣)にあり、芸妓の総数は42名だったと記されています。*1

東岩倉町の倉吉淀屋の前に駐車場になっている空き地があります。地元の方の話によると、ここに残る礎石は料亭の建物が建っていた名残だそうです。また、この料亭の隣には遊廓があって、格子がついている建物が最近まで残っていたそうです。

【参考文献】
*1 柴田文次郎:倉吉案内記(桑田書店,1928)P.71

倉吉(まあじゃん屋跡)倉吉駅前の商店街

今回は、倉吉(鳥取県倉吉市)の町並みと風俗を散歩します。
明治末期、山陰本線が延伸し、倉吉駅(後に上井駅と改称)が開業すると、上井を通過して人々と荷物が出入りするようになりました。上井は、町の中心部から竹田川を隔てた位置関係にあったので、倉吉の町は上井と旧市街地が別々に都市計画が進められました。上井駅前には、商店や飲食店が形成されましたが、上井への対抗意識からか旧市街周辺の事業が繰り返されました。*1
古い案内板には、「パチンコ銀河」、「麻雀フレンド」などの名前があります。

1階に飲食店が入る木造家屋。旧「麻雀フレンド」。

料亭のような建物です。

「まあじゃん屋」のプレートがあります。

【参考文献】
*1 生田昭夫:倉吉考(堂設計室,1980)P.54-P.56


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