門司(三宜楼)平成26年3月改築

門司の清滝地区にある三宜楼は、この付近が花街でった頃の料亭でした。1

五メートルほどの高い石垣の上に築かれた木造三階建ての和風建築です。
1

最近になり建物が改築され、一般公開されています。

入口付近。

《参考文献》
*1 羽原清雅:「門司港」発展と栄光の軌跡(書肆侃侃房,2011)夢を追った人・街・港

P.43-P.50
1906年(明治39年)6月16日付の門司新報の紙面に「三宜楼」(さんきろう)。 の記事。
「門司郷土叢書 楠村志」(第109巻)を見ると、「門司最初の料亭」としてあげられているのは、清滝の海に面した「速門楼」と山に向かう「不老園」である。1893年(明治26)10月17日の開店、とある。門司は繁盛しはじめており、十か月後には、日清戦争が始まるころだった。
明治39年ごろには、三宜楼は、5年ほどで手狭なために同じ清滝に新築・移転した。

P.51-P.53
昭和初期、門司の花柳界は、純日本式料亭で百人、二百人を収容できる三階建ての豪華な高楼が概ね次の通りであった。
 対潮楼(広石電停上の中腹)
 速門楼(清滝区役所裏 門司倶楽部途中)
 三笠(清滝で後の料亭「松尾」)
 三宜楼(清滝で建物現存)
 菊の家(錦町 ダイヤモンドホテルの位置)
 金龍亭(港町の現料亭「にしき」所在地)
 群芳閣(ぐんぽうかく)(桟橋通り、建物は戦災後、縮小再建したもの)<注:2016年売却され、オフィスビルに>
 萬檣楼(ばんしょうろう)(国道トンネル右上 現隆文堂所在地)
 芳翠園(現山田氏邸)
この外に、公認の馬場遊廓に娼妓の外、芸妓十数名がいた。さらに、非公認の私娼は、恵比寿町、川端町、大阪町などに多数存在して船員や労働者を相手にしていた。

P.70-P.73
三宜楼は、五メートルほどの高い石垣の上に築かれた木造三階建ての和風建築である。港に近く、かつては門司港を眼下に見下ろす眺望が売り物でもあった。「門司港地区の歴史的木造建造物に関する実態調査報告書(2005年3月)」によると、建物の外観の特徴は寺院や城郭などに見られる入母屋の屋根と外壁の堅板張りにある。瓦葺きの屋根は、二階の大広間の大屋根と、縁部分の一段下がった屋根の二重構造で、これが重厚さを醸し出している。

門司(むつみ関門荘)清滝

門司市街の南部。背後に山が迫った場所にある清滝地区に、風情のある旅館があります。

入口は、坂を上った奥です。

一度、ぜひ泊まってみたい旅館です。

南側。

門司(有楽街)門司区栄町5丁目

門司区栄町5丁目の「味の名所 有楽街」。

入口の看板。サッポロビールのレトロポスターが雰囲気を醸し出しています。

入口を入ると、通路は二股に分かれています。

スナックが建ち並んでいます。

門司(双葉券番跡)錦町公民館

今回は、門司(北九州市門司区)の町並みを散歩します。
門司区本町にある錦町公民館。

錦町公民館は、かつての双葉券番の建物でした。12

歴史を感じる玄関。

内部の様子。

【参考文献】
*1 錦町校区自治連合会:錦町校区のあゆみ-錦町校区自治連合会55周年・錦町公民館50周年(錦町校区自治連合会,2001)

《参考文献》
*1 錦町校区自治連合会:錦町校区のあゆみ(錦町校区自治連合会,2001)錦町校区自治連合会55周年・錦町公民館50周年

*2 羽原清雅:「門司港」発展と栄光の軌跡(書肆侃侃房,2011)夢を追った人・街・港

P.48-P.49
いまの三宜楼の建物からごく近くに錦町公民館があるが、ここはかつて二葉券番があったどころだ。この二葉券番は、1937(昭和12)年に、錦町、仲町、馬場などの券番が合併して開設されたという(角川日本地名大辞典・福岡県編)。ただ、90歳を超えるまで、門司芸者のナンバーワンだった西村二三子(芸妓名 小玉)の書き残したものには、「明治時代に町券番と門司券番があり、大正三年になり両券番が合併して双葉(二葉)券番となった」とある。角川本のいう「昭和12年」は、芸者たちの長屋があったところに、新しく券番の建物を立ち上げた年であり、合併はそれ以前だったことの方が正しい。西村によると、この券番に所属していた芸妓は、「大正時代に約100名、昭和時代の最盛期には200名以上おりました。」という賑わいだった。

門司(天神社大明神)遊女屋が寄進した鳥居

田の浦は、江戸時代、風待ちの港として栄え、色街があり、付近に遊女の墓がありました。案内板に記載されている遊女の墓は、おそらく、現在は地蔵寺に移転されたものと思われます。

天神社大明神は、菅原道真が九州で初めて上陸した所に、鳥居が建てられたと伝えられるものです。

鳥居には、「文政5年(1822年)正月吉日と彫られ、永文字屋内真砂が寄進したと残されています。

永文字屋は当時の遊女屋の屋号と思われますが、鳥居の文字は判読困難なほど風化していて、かすかに、”真砂”の文字だけが読み取れます。

門司(栄小路)バー「直湖」

門司市街は、格子状に整然と区画されているのが特徴ですが、例外的に昔のままの小路が残っている場所があります。栄小路はその一つで、小路への入口はY字路のようになっています。

栄小路は、中央部分で大きくカーブしています。

バー、居酒屋などのが建ち並んでいます。

栄小路がカーブしているところにあるスタンドバー「直湖」。
現在、地蔵寺にある遊女の墓は、バー「直湖」の女性経営者が、田の浦にあった遊女の墓の見捨てられたような状態を悲しみ、地蔵寺の住職に頼んで墓を移設してもらったものです。*1

【参考文献】
*1 羽原清雅:「門司港」発展と栄光の軌跡(書肆侃侃房,2011)P.352

門司(地蔵寺)遊女の墓

門司市街庄司町の高台にある地蔵寺。

江戸時代、門司の風待ちの港として繁栄した田の浦には、色街がありました。田の浦の真楽寺と聖山に遊女たちの墓がありましたが、現在は地蔵寺に移されています。*1

1753年から1839年までの5基の墓があります。*1

地蔵寺からは、門司市街が見渡せます。江戸時代に遊里があった田の浦は、関門橋(写真右奥)の向こう側です。

【参考文献】
*1 羽原清雅:「門司港」発展と栄光の軌跡(書肆侃侃房,2011)P.352

門司(旧赤線街)木造の建物

今回は、門司(福岡県北九州市門司区)の町並みと風俗を散歩します。

新町の旧赤線街*1 の南側には、木造の建物が残っています。

向かい側の駐車場から見た外観。

前回(2008年5月)の散歩で見かけた赤いタイルの建物は駐車場に、木造の建物は、新しい住宅(写真奥)に建て替わっていました。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.44-P.45

門司(新町)カフェー調の建物

新町(現在の錦町2丁目)の路地。

カフェー調の建物の建物が残っています。*1

美しい赤色のタイルです。

緑との相性も抜群です。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.44-P.45

門司(新町)現在の錦町2丁目

門司港駅の東側の新町(現在の錦町2-21の小児科病院の裏手の狭い路地)に、赤線街がありました。*1
入口は、鍵の手のように路地が曲がっています。

古い木造の建物が連なっています。

1階部分は華やかな感じになっています。

裏側の通りから見ると、木造3階建てであることが解ります。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.44-P.45

門司(馬場遊廓跡)東本町

JR門司港駅の北側の東本町。金属製のアーチがあります。

このあたりには、馬場遊廓がありました。*1
昭和3年の「門司新市街圖」には、現在の現在の東本町2-4のあたりに「遊廓」と記されています。*2

料理店がはいっている古い建物。

「馬場」と書かれた電柱のプレート。

*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,2002) P.44-P.45
*2 大淵善吉:門司新市街圖(1928)

門司(甲宗八幡神社)近隣治安状況の悪化

甲宗八幡神社は、源平合戦の時代から伝わる、由緒ある神社です。

残念ながら、近隣治安状況の悪化のため、裏参道(裏階段)は封鎖されています。

鳥居のある裏参道(裏階段)のすぐ隣にラブホテル「バンビ」があります。ラブホテルの存在が治安状況の悪化に関連しているのかもしれませんが、詳細については不明です。

封鎖された裏階段。

門司(門司港駅前の白ポスト)白ポストもレトロ調です。

今回は、門司(福岡県北九州市門司区)の町並みと風俗を散歩します。
鹿児島本線始発駅である門司港駅は、駅舎のみならず門司港駅一帯が「レトロ」地区として有名です。

電話ボックスもレトロなデザインですが、その右隣にもう一つレトロなボックスがあります。

レトロ調の白ポストです。

ポストの上にデザインされているのは、国指定重要文化財の「旧・門司三井倶楽部」の建物でしょうか。