真栄原(青丘の塔)慰安所跡地

嘉数高台は、沖縄戦において最初の激戦地の一角で、20日間にわたって激しい戦闘がありました。*1

青丘之塔は、沖縄戦で軍夫などとして動員されて亡くなった朝鮮人の慰霊碑です。この場所には、朝鮮人女性が慰安婦として働く慰安所がありました。*2

青丘之塔の碑文。

「この塔にねむれる人は とつくにの えにしぞ深き 霊なりけり」と書かれています。

-----青丘之塔の碑文----

嗚呼 ここ沖縄の地に太平洋戦争の末期、かつて日本軍たりし韓民族出身の軍人、軍属386柱が散華(さんげ)し侘(わび)しく眠っておられます ここに思いをいたし日本民主同志会は38度線板門店の小石38ヶを写経と共に碑礎に鎮め、イデオロギーと国境と民族を超越し人道主義を遵奉し、哀(かな)しき歴史を秘めたこれらの御霊(みたま)を慰霊顕彰するために、最も激烈なる戦闘を展開した戦跡嘉数の高地に志を同じくする諸賢、あわせて関係機関並びに地元嘉数地区の御協力を得て、韓民族出身沖縄戦没者慰霊碑「青丘の塔」を建立し永久に英勲を讃えます
昭和46年5月吉日
【参考文献】
*1 高教祖教育資料センター:沖縄の戦跡ブック・ガマ(沖縄時事出版,2009)P.55
*2 福地曠昭:オキナワ戦の女たち(海風社,1992)P.103-P.106

真栄原(嘉数高台公園)市街地のど真ん中の普天間飛行場

真栄原の高台にある嘉数高台(かかずたかだい)公園に、地球をデザインした展望台があります。沖縄本土が大き目に描かれて強調されています。

展望台からは、普天間基地が見わたせます。普天間航空基地は、第二次大戦の米軍の沖縄占領のとき、日本本土攻撃のためのB29爆撃機専用の滑走路を建設し、終戦後も海兵隊航空基地として整備されました。*1

宜野湾市のど真ん中を普天間基地が占め、周囲の土地に日本人の住宅がひしめいているのがよくわかります。米海軍・海兵隊の航空基地の設置基準に照らすと、「滑走路両端の延長線上4500メートルの範囲には住宅、学校、病院があってはならない。」定まられているので、普天間基地は、米本国ならば使用が禁じられる不適格が軍事施設です。*1

滑走路から飛び立った軍用機が轟音をたてて旋回しながら上昇していきます。

【参考文献】
*1 新崎盛暉、他:観光コースでない沖縄-第4版(高文研,2008)P.138-P.142

真栄原(社交街)現在は休業状態です。

真栄原の社交街は、県警と宜野湾市などが取り組んでいる浄化作戦により、現在は休業状態となっています。*1

軍普天間飛行場に隣接する真栄原は戦後、米兵相手の売買春が横行したため、1950年ごろ、当時は集落から離れていた現在の場所に作られました。*1

営業している店は1店舗もありません。

夜になっても営業している様子はありませんでした。

【参考文献】
*1 沖縄タイムス:沖縄タイムスニュース(2010.7.2)「売春根絶 なお課題 真栄原社交街

真栄原(アダルトショップ)社交街の看板がとりはずされていました。

真栄原社交街の入口付近。以前はこの道の入口(写真右側)に「真栄原社交街」と書かれた看板*1 がありましたが、現在は撤去されています。

社交街へ向かう道の途中にビデオ店があります。

ビデオ販売の看板

消えかかった「アダルトビデオ」「アダルトグッズ」の文字。

【参考記事】
風俗散歩(真栄原):真栄原社交街(2009.2)

■カテゴリ 売店 真栄原

真栄原(おもしろ看板)公民館前が発祥の地

今回は、真栄原(沖縄県宜野湾市)の町並みと風俗を散歩します。
全国各地に「×××発祥の地」というのは数多くありますが、真栄原は、「おもしろ看板発祥の地」です。

おもしろ看板というのは、このような「ダジャレ看板」のことで、防犯や交通安全の標語が書かれています。

こちらは「夜遊びはダメデス」の看板。

「キスに注意」の看板。

真栄原(色町の自販機)ネオン管の誘惑に負けました。

真栄原社交街にある一見何の変哲もない自販機。

夜になると、赤いネオンが煌々と輝きます。

よく見ると、自販機内の蛍光灯に赤色のフィルムが巻きつけられています。
ちょんの間と言えば、店の入口のネオン管を連想しますが、真栄原社交街では自販機も艶っぽい色で誘ってきます。ネオン管の誘惑に負け、この自販機で「さんぴん茶」を購入してしまいました。

ちなみに、普通の自販機はこんな感じです。(大謝名にて)

真栄原(亀甲墓)道路の両側に2基あります。

沖縄には、亀甲墓(かめのこうばか)と呼ばれる独特の形状のお墓が町のあちこちにあります。
大山から真栄原に至る途中の大謝名二丁目にある亀甲墓は、道路に面した見やすい場所に2基、向き合うように並んでいます。

亀甲墓は、俗に母胎をかたどったものであると言われています。人は死ぬと再び元のところへ戻るという期元思想のあらわれといわれています。*1

道路を挟んだ向かい側に、もう1基あります。

こちらの亀甲墓は、白く塗られているのが特徴です。

【参考文献】
*1 渡邊欣雄,岡野宣勝,佐藤壮広,塩月亮子,宮下克也:沖縄民俗辞典(吉川弘文館,2008) P.144-P.145

真栄原(沖縄アクターズスクール)沖縄初のタレント養成学校

1983年4月にマキノ正幸が沖縄県那覇市に開校した沖縄アクターズスクールは、安室奈美恵、MAX、SPEEDなどを排出した沖縄初のタレント養成学校です。*1

現在は、宜野湾市大山に本社があります。

沖縄アクターズスクールが生んだスーパースターの安室奈美恵さんは、コギャルファッションの教祖となりました。サラサラの茶髪にパール系のルージュ、真っ黒な肌にへそ出しルック、「パンツが見えても全然OK」という超ミニスカートに厚底のブーツを履いたコギャル達は「アムラー」と呼ばれ、渋谷のセンター街などでは見ない日はありませんでした。*2

入口には、アクターズスクール出身者のタレントの写真が飾られています。

【参考文献】
*1 大西 貢司:ポピュラー音楽研究.4(2000) 90’s沖縄系-POPの諸相~沖縄アクターズスクール出身ミュージシャンを中心に(大会報告 1999年度〔日本ポピュラー音楽学会〕第11回大会(沖縄県立芸術大学)) P.115
*2 アムラー徹底研究会:コギャルの星 安室奈美恵の研究(飯倉書房,1996) P.13-P.14

真栄原(北前町のストリップホール)ポールダンスが楽しめる店です

今回は、宜野湾(沖縄県宜野湾市)の町並みと風俗を散歩します。
宜野湾市の北側の中頭郡北谷町の北前交差点付近。

国道58号線を挟んで、東側に普天間基地、西側にPubやバーが並ぶ一画があります。

ストリップホールの「Chi Chis Gentlemens Club」‎。
ポールダンスが楽しめる店です。*1

ダンサーには、お触り禁止(Do Not Touch The Dancers)です。
日本語の貼紙はありませんので、お客さんのほとんどは、基地関係の外国人さんであると思われます。

【参考文献】
*1 ミリオン出版:俺の旅Vol.24(ミリオン出版,2007.9.25)P.20