豊川(赤線跡)円福荘

赤線だった「円福荘」跡※1 には、もう1軒、当時のものと思われる建物が残っています。

1960年の「豊川市商工名鑑」*4 では、芸妓寮や旅館になっています。売春防止法の施工により、転業になったようです。

当時の面影が残っています。

玄関は、紅色です。


■カテゴリ 赤線·私娼跡 豊川 円福荘
■散歩事典 円福荘 豊川
■参考文献
*1豊川市・豊川商工会議所: 豊川市商工名鑑 1960 (豊川市・豊川商工会議所,1960)

P.141 旅 館  梅 福    〃 旅 館  千代本    〃 P.151 芸妓寮  ゑびすや 豊川町遠通 …


■参考記事

豊川(赤線跡)円福荘

豊川町遠通には、「円福荘」という名称のカフェー(いわゆる特殊飲食店)がありました。*1
1954年の「豊川市商工名鑑」*2 には、「特殊カフェー」の記載があって、豊川町遠通七に、20軒の屋号の記載があり、そのうちの2軒、「幸楽」「雅ノ屋」は、1978年の住宅地図*3 にも記載があります。1960年の

カフェー街だったと思われる一画は、現在は住宅街になっていますが、「幸楽」と思われる建物が残っています。

2階部分。

鮮やかな、紅色が印象的です。


■カテゴリ 赤線·私娼跡 豊川 円福荘
■散歩事典 円福荘 豊川
■参考文献
*1愛知県警察史編集委員会: 愛知県警察史 第3巻 (愛知県警察本部,1975)

P.392 第四九表 カフェー(いわゆる特殊飲食店)の営業地帯形成状況

*2豊川市・豊川商工会議所: 豊川市商工名鑑 1954 (豊川市・豊川商工会議所,1954)

P.119-P.120 特殊カフェー 幸 楽 豊川町遠通七 特殊カフェー 深 川   〃 特殊カフェー 雅ノ家 …

*3ゼンリン: 豊川市 1978 (ゼンリンの住宅地図) (ゼンリン,1978)

P.104 豊川町遠通に、「幸楽」「雅ノ屋」の記載。


■この記事を参照している記事

豊川(小松屋の小路)レトロな佇まい

飲食店「みほ」がある小路※1 の1本西側の小路。
料理屋が2軒並んでいます。

料理屋の「小松屋」。

レトロな佇まいです。

小路(写真左側)の裏側は広い駐車場になっています。写真の右側は、飲食店「みほ」※1 がある小路に連なる建物の裏側。

豊川(門前通りの飲食店)バーの看板。

今回は、豊川(愛知県豊川市)の町並みを散歩します。
豊川稲荷の開帳(昭和29年)や豊橋博以降、昭和30年代、豊川の参拝客はうなぎのぼりに増加し、昭和38年には自動車時代を迎え、豊川稲荷の観光化が目立つようになりました。*1
豊川稲荷の門前通りには、レトロな飲食店やみやげもの屋が軒を連ねます。

こちらの飲食店は、現在はかき氷などの甘味類の店になっています。

駅前の西本町通り沿いの飲食店。

バーの看板。


■カテゴリ 商店街 豊川
■散歩事典 豊川
■参考文献

P.248-P.249 豊川稲荷の開帳(昭和29年)や豊橋博以降、昭和30年代、豊川の参拝客はうなぎのぼりに上 …


■この記事を参照している記事

御油~赤坂(うなぎ屋)遊女屋があったあたり

旧御油宿から、「御油の松並木」を過ぎると旧赤坂宿です。その間約500mです。

長福寺近くにあるうなぎ屋さん。
江戸時代、この付近は、女郎置屋が建ち並ぶ一画でした。*1

井戸水の中で泳がせた国産のうなぎを使用しているそうです。(張り紙より)

うな丼と缶ビールを注文。


■カテゴリ 食文化 御油 鰻丼 赤坂
■散歩事典 御油
■参考文献
*1今井金吾: *今昔東海道独案内 (日本交通公社出版事業局,1994)

「御油より赤坂までは十六町にして、一宿のごとし。宿に遊女多し。おなじ宿なれども御油は賤しく、赤坂はよろし。(改 …

御油~赤坂(女郎屋跡)全盛の頃は30軒余の遊女屋

東海道五十三次宿時代の御油※1 は、大小名参勤交代、上下の旅人によって殷賑を極めました。遊女屋は、中町、中上町、伝馬町に全盛の頃は30軒余りありました。*1

現在は、当時の面影を残す建物は少なくなってきています。*1

イチビキ醤油手前の元女郎屋の建物。*1

中町の銭屋(女郎屋)があったあたり。*1


■カテゴリ 街道·街路の町 御油
■散歩事典 三次 御油
■参考文献
*1: *御油・赤坂宿の町並 (村瀬輝雄,1985)旧東海道小坂井・御油・赤坂・長沢の調査記録と写真集

P.32 東海道五十三次宿時代の御油は、大小名参勤交代、上下の旅人によって殷賑を極めた。 遊女屋は、中町、中上 …


■参考記事

御油~赤坂(御油宿)旅人留女

今回は、御油(ごゆ、愛知県豊川市)の町並みを散歩します。
御油は、江戸時代、東海道五十三次の中でも「御油に赤坂吉田がなくば何のよしみで江戸通い」と俗謡にも謡われるほど、飯盛で街道筋に聞こえた遊興の宿場でした。*1
写真は、かつての御油宿の入口にあたる旧御油橋です。

江戸時代の御油宿の様子は、歌川広重の木版画「東海道五拾三次之内36御油《旅人留女》」に描かれています。

御油の宿では日暮れにもなると、「留女(とめおんな)」と呼ばれた女たちの旅籠への客引きがさかんでした。『東海道中膝栗毛』には「両がはより出くる留女、いずれもめんをかぶりたるごとくぬりたてるが・・」とあります。*2

明治に入ると交通手段の主役が鉄道に移り、それについれて旧御油宿は次第にさびれていきました。御油橋を渡る旧東海道沿いは裏通りとして利用されています。*1


■カテゴリ 街道·街路の町 御油
■散歩事典 三次 御油
■参考文献
*1山本瑳一: 豊川・宝飯いまむかし : 写真集 (名古屋郷土出版社,1989)

P.52-P.53 御油は、東海道五十三次の中でも「御油に赤坂吉田がなくば何のよしみで江戸通い」と俗謡にも謡わ …

御油の宿では日暮れにもなると、「留女(とめおんな)」と呼ばれた女たちの旅籠への客引きがさかんで、画中のような有 …


■この記事を参照している記事

豐田(「観月境」跡地)月見町という地名にその名残

拳母(現在の豊田市のこと)には、カフェー(いわゆる特殊飲食店)が集団的に一画を形成していました*1。
特殊飲食店街は「観月境」と呼ばれ、昭和33年の赤線廃止まで続き、最盛期には、80~90人ほどの女性が働き、午前1時ころまで営業していました。現在では月見町という地名にその名残があります。*2

現在の月見町。

当時の屋号*3 を引きつぐビジネスホテル。

赤線廃止直後の1965年の住宅地図*4によると、旅館小楽があったのは、現在のビジネスホテルがある場所の1本北側の通りでした。


■カテゴリ 赤線·私娼跡 豊田
■散歩事典 豊田
■参考文献
*1愛知県警察史編集委員会: 愛知県警察史 第3巻 (愛知県警察本部,1975)

P.392 第四九表 カフェー(いわゆる特殊飲食店)の営業地帯形成状況

*2名古屋郷土出版社: 写真集 豊田いまむかし     (名古屋郷土出版社,1989)

駅西を望む(昭和30年頃) 遊廓「観月境」の写真。8軒ほどの2階屋。 昭和33年の赤線廃止までこの地にあった。 …

*3豊田市郷土資料館: 挙母 資料集(豊田市文化財叢書) (豊田市教育委員会,1995)資料にみる明治大正昭和のあゆみ

公共建築物調書 P.120 特殊カフェ20軒の屋号の記載。 小楽、福本、寸楽、第三小楽、江戸川、遊楽、第二小楽 …

*4ゼンリン: *豊田市・高岡・猿投(1965年) (ゼンリン,1965)

P.28 ・月見町2丁目に、「旅館小樂」「旅館深川」「旅館寿」の記載。

豊田(「喜楽亭」跡)昭和57年に移築

その建物が豊田産業文化センターの敷地に建っている喜楽亭。新明町にあった喜楽亭※1 が閉店後、移築されたものです。*1

創業は明治時代。贅を凝らした料理屋の建築を間近に見ることができます。*1

2階部分。

建物の前の庭園を含め、周囲を一周できます。


■カテゴリ 花街·花街跡 豊田
■散歩事典 豊田
■参考文献
*1新修豊田市史編さん専門委員: 新修豊田市史 17 (別編 民俗Ⅲ) (豊田市,2017)

P.90 工場や商家が集まるマチでは、商談や宴会などの場が必要であり、独特の接客文化が形成された。その舞台は料 …


■参考記事
■この記事を参照している記事

豊田(花街跡)神明町

今回は、豊田(愛知県豊田市)の町並みを散歩します。
昭和40年頃の拳母(現在の豊田市街)には「喜楽亭」「魚十」「澤屋」「福好」「喜多善」「大見屋」「魚兼」「住吉」「くろ猫」「清こま」などの料理屋がありました。*1
豊田市街の神明町には、小料理屋、小料理屋兼旅館が軒をつらね、格子づくりの置屋が何軒もありました。*2

喜楽亭があったあたり。*3*4

いちらく(一楽)、タクシーの黒船などがあった新明町の通り。*2*4

袋小路には、数えきれないほどの芸者置屋、稽古場があったそうです。*2


■カテゴリ 花街·花街跡 豊田
■散歩事典 豊田
■参考文献
*1新修豊田市史編さん専門委員: 新修豊田市史 17 (別編 民俗Ⅲ) (豊田市,2017)

P.90 工場や商家が集まるマチでは、商談や宴会などの場が必要であり、独特の接客文化が形成された。その舞台は料 …

*2野沢昌樹: 挙母下町を歩く (出逢い叢書 四) (野沢昌樹,1993)

《神明または神明町》 神明町は、挙母の脂粉・歓楽の町であった。小料理屋、小料理屋兼旅館が軒をつらね、格子づくり …

*3豊田市商工課: 豊田市商工名鑑 1960 (豊田市,1960)

・合資会社喜楽亭(神明町一ノ一)の記載。

*4ゼンリン: *豊田市・高岡・猿投(1965年) (ゼンリン,1965)

P.10 ・つばめクリーニングの南隣に「ガレージ喜楽亭」の記載。 ・拳母劇場の南側、新明町二丁目の通りに、「い …


■この記事を参照している記事

中村(名古屋花壇跡)昭和初期の総合レジャーランド

昭和初期、太閤通りの南側の現在のNTT西日本中村ビルと中村郵便局がある場所に、総合レジャーランドの「名古屋花壇」がありました。*1

名古屋花壇(中村温泉パラダイス)は、昭和3年(1928年)に開設された遊園地で、舞台付き大食堂、遊技施設などの大規模建物と、屋外の遊園地、花壇などが設置されていました。*2

昭和4年(1929年)の世界大恐慌の影響で廃園に追い込まれました。*2

跡地は昭和12年(1937年)に中村区の仮庁舎になり、現在は中村郵便局 になっています。*2


■カテゴリ 娯楽文化 中村
■散歩事典 中村
■参考文献
*1横地清: 中村区歴史余話 (中日出版社,1992)

P.111 昭和初期の中村区に吉田高郎が興した総合レジャーランドの「名古屋花壇」 当時のパンフレット

*2名古屋観光コンベンションビューロー: やっとかめ文化祭 歴史まち歩き 13 中村・大門 (名古屋観光コンベンションビューロー,2015.2)名も無き人らの中村観音に遊郭跡、 歴史の光と影を今に伝えるディープなまち ···外部リンク···

旧名古屋花壇(中村温泉パラダイス)址。昭和3年(1928年)に開設された遊園地。

中村(妓楼跡)当時の屋号が残っています。

旧中村遊廓。現在のピアゴ中村店の西側の一画に当時の妓楼と思われる建物が残っています。*1*2

建物の左側は改築されて洋風の店舗になっています。

「福春」の屋号。

「TSURUNOYA」と書かれています。*1


■カテゴリ 遊廓·遊里跡 中村 中村遊廓
■散歩事典 中村遊廓 中村
■参考文献
*1稲川勝二郎: *歓楽の名古屋 (趣味春秋社,1937)

P.42 「中村旭廓内明細図」に妓楼の屋号が記載。

*2近藤正一: *日本建築学会計画系論文集 通号488 P.203-P.210 (日本建築学会,1996.10)中村遊廓における建築計画の類型

P.206 中村遊廓において、当時の構造を残していると判断される建物は40件。

中村(電柱番号札)遊廓北分

中村遊廓の特徴である四隅の廓の中心に向かう斜めの道。*1
現在は風俗店(旧「三角荘」)があります。

四隅のうちの南東部分にあたるこの場所の電柱番号札には、「遊廓北分1」と書かれています。

「遊廓北分1」の電柱番号札を起点に「遊廓北分2」「遊廓北分3」…..と続き、最後は「遊廓北分8」で終わっています。

ちょうど、四隅の北東部分にあたる場所です。写真の空地の部分は、「ホテル太閤」がありました。


■カテゴリ 遊廓·遊里跡 中村 中村遊廓 電柱番号札 囲郭
■散歩事典 中村遊廓 三角 中村
■参考文献
*1近藤正一: *日本建築学会計画系論文集 通号488 P.203-P.210 (日本建築学会,1996.10)中村遊廓における建築計画の類型

P.205 廓の構造は、島原や吉原などと同様、縦1本、横3本の大通りを持った三筋構造を基本とし、さらにその外周 …

中村(妓楼の建物)現在は風俗店

かつての中村遊廓があった大門町。妓楼と思われる重厚な建物が残っています。*1
現在は風俗店として使われているためか、北側は看板建築のような造作となっています。

現存している遊廓時代の建物のうちの一つです。*1

裏入口はこちらです。

風俗店の看板。


■カテゴリ 遊廓·遊里跡 中村 中村遊廓
■散歩事典 中村遊廓 中村
■参考文献
*1近藤正一: *日本建築学会計画系論文集 通号488 P.203-P.210 (日本建築学会,1996.10)中村遊廓における建築計画の類型

P.206 中村遊廓において、当時の構造を残していると判断される建物は40件。

中村(飲食店の建物)お食事処「善ちゃん」

旧中村遊廓の南側の一画。名古屋市中村区賑町。

60年以上も赤ちょうちんを守ってきた居酒屋「善ちゃん」。お世辞にもきれいな店とは言えません。*1

入口脇には、錆びた飲食店の看板。

お食事処「善ちゃん」の提灯。


■カテゴリ スナック街·店舗 中村 中村遊廓 森繁久弥 ミヤコ蝶々
■散歩事典 中村遊廓 中村
■参考文献
*1毎日新聞社: 毎日新聞 中部夕刊 (毎日新聞社,2017.6.5)「善ちゃん」店主死去 森繁久弥、ミヤコ蝶々らに愛され ···外部リンク···

旧中村遊郭の一角の名古屋市中村区大門で60年以上も赤ちょうちんを守ってきた居酒屋「善ちゃん」の主人、浅井善一さ …