御油~赤坂(うなぎ屋)遊女屋があったあたり

旧御油宿から、「御油の松並木」を過ぎると旧赤坂宿です。その間約500mです。

長福寺近くにあるうなぎ屋さん。
江戸時代、この付近は、女郎置屋が建ち並ぶ一画でした。*1

井戸水の中で泳がせた国産のうなぎを使用しているそうです。(張り紙より)

うな丼と缶ビールを注文。

■カテゴリ 御油 赤坂 食文化 鰻丼

■参考文献
*1今井金吾: *今昔東海道独案内 (日本交通公社出版事業局,1994)

「御油より赤坂までは十六町にして、一宿のごとし。宿に遊女多し。おなじ宿なれども御油は賤しく、赤坂はよろし。(改 …

御油~赤坂(女郎屋跡)全盛の頃は30軒余の遊女屋

東海道五十三次宿時代の御油※1 は、大小名参勤交代、上下の旅人によって殷賑を極めました。遊女屋は、中町、中上町、伝馬町に全盛の頃は30軒余りありました。*1

現在は、当時の面影を残す建物は少なくなってきています。*1

イチビキ醤油手前の元女郎屋の建物。*1

中町の銭屋(女郎屋)があったあたり。*1

■カテゴリ 御油 街道·街路の町

■参考文献
*1: *御油・赤坂宿の町並 (村瀬輝雄,1985)旧東海道小坂井・御油・赤坂・長沢の調査記録と写真集

P.32 東海道五十三次宿時代の御油は、大小名参勤交代、上下の旅人によって殷賑を極めた。 遊女屋は、中町、中上 …

■参考記事

御油~赤坂(御油宿)旅人留女

今回は、御油(ごゆ、愛知県豊川市)の町並みを散歩します。
御油は、江戸時代、東海道五十三次の中でも「御油に赤坂吉田がなくば何のよしみで江戸通い」と俗謡にも謡われるほど、飯盛で街道筋に聞こえた遊興の宿場でした。*1
写真は、かつての御油宿の入口にあたる旧御油橋です。

江戸時代の御油宿の様子は、歌川広重の木版画「東海道五拾三次之内36御油《旅人留女》」に描かれています。

御油の宿では日暮れにもなると、「留女(とめおんな)」と呼ばれた女たちの旅籠への客引きがさかんでした。『東海道中膝栗毛』には「両がはより出くる留女、いずれもめんをかぶりたるごとくぬりたてるが・・」とあります。*2

明治に入ると交通手段の主役が鉄道に移り、それについれて旧御油宿は次第にさびれていきました。御油橋を渡る旧東海道沿いは裏通りとして利用されています。*1

■カテゴリ 御油 街道·街路の町

■参考文献
*1山本瑳一: 豊川・宝飯いまむかし : 写真集 (名古屋郷土出版社,1989)

P.52-P.53 御油は、東海道五十三次の中でも「御油に赤坂吉田がなくば何のよしみで江戸通い」と俗謡にも謡わ …

御油の宿では日暮れにもなると、「留女(とめおんな)」と呼ばれた女たちの旅籠への客引きがさかんで、画中のような有 …

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