神田明神下(開化楼跡)高楼がそびえたっていました。

かつて男坂の途中には、料亭「開化楼」の高楼がそびえたっていました。*1

現在、男坂の途中には、オフィスビル「KAIKA」が建っています。

料亭「開化(新開化)」があったたり。

料亭「開化」の前には、神田芸組合の事務所が建っていました。*1
写真奥は、神田川本店がる方角です。※1

■カテゴリ 神田明神下 花街·花街跡
■用語解説 神田花街
■参考文献
*1林順信: *東京路上細見2 (平凡社,1987)日本橋・人形町・銀座・築地・佃島

P.275 外神田二―六―三の表札を見ると、大きな看板の下がった家がある。看板には、「神田芸妓・芸妓置屋組合」 …

■参考記事

神田明神下(神田川本店)かつての花街のころの雰囲気が残っています。

神田明神下の南側の一画にある神田川本店。美しい黒板塀のある老舗料亭です。

創業は文化2年。代々受け継がれている辛口のタレは、江戸幕府の賄い方だった初代が万世橋の際で開いたときからのものだそうです。*1

神田川本店の裏手の路地。このあたりは、かつての花街のころの雰囲気が残っています。

現在は、神田川本店の倉庫となっている一画。

■カテゴリ 神田明神下 花街·花街跡
■用語解説 神田花街
■参考文献
*1交通新聞社: *散歩の達人 No.179 (交通新聞社,2011)

P.23-P.24 創業文化2年 明神下神田川本店(うなぎ) 空間もさることながら、神田さんが一番大事なものと …

■この記事を参照している記事

神田明神下(花街跡)講武所芸者

かつて、神田明神下同明町に花柳界があって、この三業地を俗に講武所、ここの芸者を講武所芸者と言いました(講武所とは、幕末に創設された幕府の武術教育所のこと)。*1
花街のことを「講武所」と呼んだのは、
・講武所の運営費捻出のため、現在の秋葉原駅の万世橋通り付近の土地を町屋に編入して地代を取るようになり、安政期(1854-59年)にこの地に芸者が姿を現したため、講武所芸者と称されるようになった。*2
・旗本、御家人などの二男・三男が武芸鍛錬のため講武所へ行くと言って家を出てここで遊んでいたとか、客に講武所の生徒が多かったため、*1
など諸説あります。
また、明治3年)頃に、芝居茶屋が出現し、同時に草分け芸者が生まれ、花街となった。*3 とする説もあります。
男坂の通りの北側の通りにある料理屋。右側の建物もかつての料理屋です。

料理屋「あら喜」
元料理屋の建物。

「章太郎」は、明神したの艶っぽさを残す名店です。*2

■カテゴリ 神田明神下 花街·花街跡
■用語解説 神田花街
■参考文献
*1北村一夫: *江戸東京地名辞典 (講談社,2008)P.288-P.289

神田明神下同明町に花柳界があった。この三業地を俗に講武所、ここの芸者を講武所芸者といった。 明神下の花街が講武 …

*2: *荷風!vol.23 (日本文芸社,2010.1)

P.39 コラム講武所芸者 講武所とは、江戸幕府が武術修練のために設けた講習所で、もともと築地にあったのが現・ …

花街の創設 芝居茶屋が出現するど同時に草分け芸者として生まれ、翌年(明治3年)頃に二十三、四人の芸者が集まる花 …

神田明神下(ビリヤード場「淡路亭」)創業50年の老舗

JR御茶ノ水駅の北側の外堀通り。神田川沿いに建ち並ぶ4階建ての建物※1 の裏側にあたります。

「玉台家具製作所」の木製の文字看板。昔は、ビリヤード台のことを「玉台」呼んでいたようです。

創業50年の老舗ビリヤード場です。*1

カラフルな看板。

■カテゴリ 娯楽文化 神田明神下

■参考文献
*1ワテラス: FREE AWAJI BOOK 8890 (ワテラス,2015.12)ノスタルジーに酔いながら、玉突き勝負といきましょう。 ···外部リンク···

 JR中央線の線路沿いにある古いコンクリート ビルの2階に、創業50年のビリヤード場「淡路亭」 はある。ここは …

■参考記事

神田明神下(御茶ノ水駅)川沿いの4階建て

今回は、神田明神下(東京都千代田区)の町並みを散歩します。
JR御茶ノ水駅の東側。神田川に架かる聖橋からみたJR総武線、JR中央線、地下鉄丸の内線が立体交差します。ずっと眺めていても飽きない景観です。

昌平橋から聖橋方面の遠望。

川沿いに4階建ての建物が建ちならんでいます(JR御茶ノ水駅より)。

ビリヤードの建物。