高知(美容室)狭小建物

高知市与力町(堺町の西側)の交差点の角にあるレトロな「マキ美容室」の建物。

横から見ると、驚くほど狭小な建物であることがわかります。

入口付近。こちらは、「サロンK」という屋号です。

カラフルなタイルの装飾。

高知(鏡川河畔のラブホ街)美しい夜景

潮江橋から見る鏡川河畔(高知市天神町)は、観光ホテルとラブホテルとが混在し、奇妙な風景をつくりだしてています。*1

派手な色のラブホテルの建物。

古城を模した建物もあります。

夜になると、鏡川におちるネオンの影が美しい夜景を演出します。

■カテゴリ ホテル 高知

■参考文献
*1高知遺産プロジェクト: *高知遺産 (グラフィティ,2005)

p.95 天神町 観光ホテルとラブホテルとが混在する奇妙な風景。

高知(料亭「得月楼」)陽暉楼

高知市南はりまや町にある料亭「得月楼」は、宮尾登美子著の「陽暉楼」の舞台なった料亭です。*1

創業者の松岡寅八は、幼年時代から商売を仕込まれ、明治5年に独力で陽暉楼をはじめ、更に得月楼を創業(明治11年・1878・谷干城命名)。後に本店を稲荷町に移し、中店を浦戸に置いて、数カ所に出店して発展させました。現在の得月は中店です。*2*3

見事な庭園。

昼のランチはリーズナブルな価格で、個室でゆっくりできます。

■カテゴリ 花街·花街跡 高知

■参考文献
*1得月楼: ご案内 (得月楼,) ···外部リンク···

得月楼は自由民権運動発祥の地として知らせる 高知の中心部、はりまや橋のたもとにあります。

*2山本泰三: 土佐の墓 その2 (土佐史談会,1987)

P.235 松岡寅八

*3公文豪: *土佐の自由民権 : 史跡ガイド (高知新聞社,2013)

P.19 明治2(1869年)、新地が新設されてから料亭が立ち並び、「上の新地」「玉水新地」と呼ばれるようにな …

高知(スタンド小吉跡)堺町

かつての青線街「掛川町」※1 は、現在の堺町8,9,11,12,13付近と思われ、1983年の住宅地図を見ると、スタンドやスナック、トルコ風呂などが密集しています。*1
写真の左手前の交差点の角(現在は駐車場)には、スタンド朱美、スタンドひとみ、スタンド姿、がありました。

スタンド小吉の建物。
昭和33年の売春防止法施行以降、掛川町の特飲街は、旅館、スタンドなどに転業し、従来通りの賑わいを呈していました。(この建物が青線であったかどかは不明です。)*2

かろうじて「小」の文字が残っています。前回(2014年)、この付近を歩いたときの記憶では、「一品料理 スタンド小吉」と書かれていたと思います。

料亭の建物を思わせる2階部分。

■カテゴリ スタンド小吉 堺町私娼街 飲食街·横丁 高知

■参考文献
*1ゼンリン: *高知市中央部 1983年度版 (ゼンリン,1982)

P.67 堺町12

*2高知市史編さん委員会民俗部会: *地方都市の暮らしとしあわせ (高知市,2014)高知市史 民俗編

婦人相談所の開設 P.264-P.265 1958年3月3日、市内の赤線(玉水町)と青線(掛川町)の両地区で、 …

■参考記事

高知(掛川町)青線があった地域

今回は、高知(高知県高知市)の町並みを散歩します。
高知市の掛川町は、かつて青線(非公認の特飲街)があった場所です。*1
現在はソープランドなどが建ち並ぶ風俗街になっています。

旧町名の掛川町の案内板。案内板によると、「掛川町」は、関ヶ原の合戦後、山之一豊が掛川(現在の静岡県掛川)から入国のとき、職人を移住させたことに由来する地名です。
青線があった時代は、玉水町の赤線※1※2※3と並んで、掛川町の青線と呼ばれていたようです。売春防止法施行により、赤線と青線は解散しましが、掛川町の青線については、半年後街娼がみうけられるようになり、転業した旅館のほとんどが連れ込み宿でした。*1※4

現在の町名は、堺町です。

「掛川」の電柱番号札。

宿毛(遊廓跡地)松田川新地

全国遊廓案内(昭和5年)によると、宿毛遊廓は、高知線須崎駅から宿毛まで汽船で行き、貸座敷の軒数は2軒と紹介されています。
昭和10年の「宿毛町明細圖」*1 には、一富士楼、新玉楼、万幡楼、昭和楼の四楼の屋号が記されており、宿毛の遊廓はこの時期に繁栄したようです。

その後、宿毛の遊廓は、自然災害と運命を共にすることになります。宿毛市史の災害の項目に「大正9年の台風によって、松田川新地(現大井田病院付近)の堤防が決壊し、百々鶴楼外四楼が瞬間に流失した」と、遊廓が消失したことが記されています。*2

遊郭があったと思われるあたり。

度々氾濫した松田川の堤防。

【参考文献】
*1 宿毛町商工会:宿毛町明細圖(東京交通社,1935)
*2 宿毛市史編纂委員会:宿毛市史(宿毛市教育委員会,1977)P.1186

宿毛(片島の花街跡)かつては軍人さんで賑わいました。

今回は、宿毛(高知県宿毛市)の町並みと風俗を散歩します。
地元の方の話によると、第二次世界大戦当時、宿毛の片島には海軍の軍人さんが多く集まる料亭があり、芸者を置いている店もあったそうです。

港へ向かう通り。

1階に焼肉店が入っている旅館。

元旅館の建物。

高知(旭町一丁目の飲食街)

市電の旭町一丁目電停。旧玉水新地の近くです。

ここに、飲み屋が集中している一画があります。

すぐ南は玉水町で、昔はこのあたりで一杯飲んでから玉水に遊びに行ったのでしょうか。*1

飲み屋街の北側の一画。

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.43

高知(旧玉水新地の用水路)小さな橋がいくつもかかっています

玉水新地は、明治から戦後にかけて高知市街の西のはずれにあった遊廓です。
用水路のを挟んだ南北の両側に妓楼が建ち並んでいました。

用水路には小さな橋がいくつもかかっています。

橋は、ひとつひとつが異なる形をしています。

橋の上からの眺め。

■カテゴリ 遊廓·遊里跡 高知

■この記事を参照している記事

高知(歌碑「南国土佐を後にして」)はりまや橋

今回は、高知(高知県高知市)の町並みと風俗を散歩します。
高知市街中心部のはりまや橋公園に「南国土佐を後にして」の歌碑が設置されています。

原詩・原曲は、第二次世界大戦中、中国に派兵された土佐出身の兵士が故郷を懐かしんで作ったものです。(案内板より)
歌詞には、よさこい節の1節「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」が取り込まれています。

「南国土佐を後にして」は、昭和34年、歌手のペギー葉山さんが歌って大ヒットしました。当時の日本は、集団就職で多くの少年少女が都会に流入した時代で、高知県民はもとより、多くの人たちがこの歌に故郷を偲びました。(案内板より)

交差点にある赤い色のはりまや橋は観光用のもので、本当のはりまや橋は、こちらの鉄骨でできた橋です。

高知(旭町)ラビリンス旭

JR土讃線旭町駅で下車し、町並みを散歩します。旭町は、昔ながらの路地裏など、下町を感じさせる風景が残っています。
旭町駅近くのV字路。角のな建物は、昔は商店だったようです。*1

交差点の道の形そのままに建てられた不動産屋の建物。*1 まるで、船の舳先(船首)部分のようです。

旭上町の旭西部公民館の入口へ続く坂道と、写真右奥のV字路を含めると、五叉路ということになります。

その場所から約10m離れた地点から逆方向(北東方向)を見ると、こちらも路地が迷路のように入り組んでいます。*1
右側の路地は奥でさらに2叉に分岐していますので、それも含めると五叉路。まさに、「ラビリンス旭」です。

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.36-P.41

■カテゴリ 路地 高知

高知(上町五丁目の路地)共同の物干し場

上町五丁目の通りに面して路地の入口があります。

建物に挟まれた細い空間が続きます。

路地を抜けると、突然、広場に出ます。

ここは、共同の物干し場のようです。現在の町では、忘れ去られてしまった「共同空間」が現在も健在です。*1

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.41

■カテゴリ 路地 高知

高知(駐車場隅のお稲荷さん)「下知遊廓」と刻まれた石碑

高知には、かつて「上の新地」と「下の新地」の2つの遊廓がありました。「上の新地」は、市街の西側(現在の玉水新地*1)に位置していたのに対し、「下の新地」は、市街の東側の市電「知寄町二丁目」停留所から、南側に5分ほど歩いた位置にありました。*2
県道35号桂浜宝永線に面した場所に駐車場があります。

駐車場の隅に小さなお稲荷さんがあります。

お稲荷さんの脇に、「昭和五年三月 植櫻樹記念」と刻まれた石碑が放置されています。*2

周囲の町並みに遊廓あったことの面影はありませんが、その中で、この石碑は唯一の下知遊廓の痕跡といえます。

【参考URL】
*1 風俗散歩(高知):玉水新地(2009.6)
【参考文献】
*2 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.272-P.274