美濃太田(坪内逍遥の銅像)根津遊廓

美濃太田駅前の広場。

坪内逍遥の銅像が鎮座しています。

坪内逍遥は、日本最初の近代的文学論『小説真髄』(1885~1886)とその実践となる小説『当世書生気質』(1885~1886)を著し、文壇の中心的存在となりました。

逍遥は、大学時代の同級生に誘われて、根津遊廓の大八幡楼(おおやわたろう)にあがり、ここで出逢った遊女の花紫と明治十九年十月二十二日に結婚しました。*1
しかし、逍遥自身はこれが原因となって、鬱憂になったといわれています。*2

坪内逍遥 文学 根津遊廓 美濃太田
■参考文献
*1矢田山聖子: 坪内逍遥の妻 大八幡楼の恋 (作品社,2004)

P.10 逍遥は、大学時代の同級生に誘われて、根津遊廓のなかでもひときわ格式のある権現裏の大八幡楼(おおやわた …

■参考文献
*2松本清張: 文豪 (,1974)

P.44-P.45 逍遥がおセンさんといっしょになったのは二十八歳の秋、それからそろそろ初期鬱憂現象の神経衰弱 …

美濃太田(森山の旅館・料理屋街跡)明治時代から料亭や芸者置屋がありました

美濃太田駅から高山本線で一つ隣の駅、古井駅で下車し、北東へ500mほど行くと古い道標があります。右へ行くと、八百津、木曽路、左へ行くと飛騨高山です。

この付近(古井地区の森山)は、かつての加茂郡の中心で、群役所・警察署などの官庁があったことも関係して、明治時代から料亭や芸者置屋がありました。「大正年代森山元町ノ街並」によると、青柳橋近くに、「料理」「満寿や」の記述があります。

イサバや角周の隣には末広座があり*1、この付近が歓楽街であったことが想像できます。

「平井酒や」の近くに「置屋昭月」がありました。*1

古井 美濃太田 花街·花街跡
■参考文献
*1美濃加茂市: 美濃加茂市史 通史編 (美濃加茂市,1980)

P.852 太田は、中山道の宿場であった関係から、江戸時代より旅籠が約20軒を数えたというが、明治になっても加 …