美濃太田(坪内逍遥の銅像)根津遊廓

美濃太田駅前の広場。

坪内逍遥の銅像が鎮座しています。

坪内逍遥は、日本最初の近代的文学論『小説真髄』(1885~1886)とその実践となる小説『当世書生気質』(1885~1886)を著し、文壇の中心的存在となりました。

逍遥は、大学時代の同級生に誘われて、根津遊廓の大八幡楼(おおやわたろう)にあがり、ここで出逢った遊女の花紫と明治十九年十月二十二日に結婚しました。*1
しかし、逍遥自身はこれが原因となって、鬱憂になったといわれています。*2

根津(山の湯)鼻の欠けた老婆に出くわしました。

根津神社の近くに銭湯の山の湯があります。
根津生まれの荒川センさんの話によると、山の湯近くに昔共同便所があり、子供のころ順番を待っていたら、中から梅毒で鼻の欠けた、顔立ちの異様にくずれた元お女郎さんの老婆が出てきて、腰を抜かしたそうです。山の湯の近辺には、遊廓で働いていた人のたまり場のようなものがありました。*1

山の湯は、根津神社へ行く道の途中にあります。

瓦屋根のある佇まい。

歴史を感じさせる銭湯です。

【参考文献】
*1 森まゆみ:不思議の町根津(筑摩書房,1997)P.220

根津(遊廓跡)女に縁の深い土地

今回は根津(東京都文京区)の町並みと風俗を散歩します。
「明治の東京」*1 によると、「藍染橋(在の根津一丁目の交差点付近)までは、引手茶屋であったらしく、橋から先が娼楼の区域で、権現の方へ曲がっている八重垣町の方に大楼があったのではなかろうかと思う。」と紹介されてます。*2*3

根津神社近くの商店。根津遊廓のことを記した銅版のプレートがあります。

根津遊廓は明治21年をもって、洲崎に移転したため、現在、その名残はありません。
しかし、遊廓的な雰囲気は移転後も残っていました。 「不思議の町根津」*1 によると、今の根津小学校の近くで、夕方になると日本髪を結って、白粉をつけた2、3人出てきて客を引いていました。*4

遊廓移転後の明治29年、根津神社内に残っていた旧大八幡楼の建物を利用して、温泉旅館「紫明館」ができました。そして、数年前までは日本医科大学の看護婦寮でした。町の歴史を長く知る人たちは、「あそこはよっぽど女に縁の深い土地に違いない。」と噂しています。*4
現在、看護婦寮があった場所は日本医科大学大学院になっています。

【参考文献】
*1 馬場孤蝶:明治の東京(丸ノ内出版,1974)P.8-P.9 中央公論社昭和17年刊の複製
*2 上村敏彦:花街・色街・艶な街(街と暮らし社,2008)P.70-P.72
*3 林順信:東京路上細見①(平凡社,1987)P.174
*4 森まゆみ:不思議の町根津(筑摩書房,1997)P.104,P.219-P.220

門前仲町(深川不動尊)洲崎パラダイスの額

根津遊廓や洲崎遊廓では、成田不動尊(千葉県成田市)の信仰が盛んでした。明治2年、成田山の出張所が吉祥寺の境内に設けられ、明治11年には、不動堂が建設され、遊廓を含めた花街関係者の間で深川不動尊信仰が浸透していきました。*1

不動尊の本堂内を見回すと右手に大きな額があり、洲崎パラダイスの講中の名前が刻まれています。

額の中央には、奉納成田山 内陣五講....」、額の右側には、店の名が記述されています。

額の左側には、遊廓の関係者の名前が記されています。

【参考文献】
1* 岡崎征男:洲崎遊廓物語(青蛙房,1978)P.285-P.295