出雲(出雲大津町)芸妓置屋が4軒あった明治末・大正初年当時

JR出雲市駅から一畑電車北松江線の大津町駅で下車した東側が、出雲大津町の町通りです。 “出雲(出雲大津町)芸妓置屋が4軒あった明治末・大正初年当時” の続きを読む

■参考文献
*1石塚尊俊: *出雲市大津町史 (大津町史刊行委員会,1993)P.872,「明治・大正の町通りの家並図」

森福検番、中央検番、江角検番、柿田検番、の記載あり。

*2石塚尊俊: *出雲市大津町史 (大津町史刊行委員会,1993)P.872,「明治・大正の町通りの家並図」

森福検番、中央検番、江角検番、柿田検番、の記載あり。

P.872-P.873
明治以来、大津の商工業は急速に発達した。古老に尋ね、各戸の生業状況を復元してみた。次の一覧図(明治・大正の交の町通り)がこれである。
一番多いのは、菓子屋で15軒に達する。うどん屋、そのほか多いものとして魚屋の9軒、干物屋の5軒がある。これも田舎では珍しい数字である。それよりも驚くべきは呉服屋が9軒もあることである。さらに、注目させられるのは、芸妓の置屋である。これが4軒もあり、その数は今市よりも多かった。芸妓の数は大正12年に42名であったという(森広博久氏手控)。
大正年間には、錦岩楼(さんがんろう)ができた。さらに、当時は魚屋でも簡単な宴会ぐらいはできた。